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「幾多の苦難を乗り越えて…」
盲目の歌手 志田二三雄さん(54歳)
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 とにかく、生きる勇気と元気を与えてくれる人である。
 失明、さらには週3日の人工透析という重いハンデを背負いながらも、一宮町の志田二三雄さんは、「全国20万人の透析患者のため、社会への恩返しのために」と歌手活動を続ける。

 透析生活は実に28年間。通常、透析は20年続けると体がガタガタになるといわれ、志田さんも「若い人たちを何百人も見送った」。「あと何年生きられるかわからない。でも、自分ががんばっている姿を見せることで多くの人々に元気を与えたい」と障害者の施設や老人ホーム等、各地を精力的にまわってコンサートを開いている。
 そんな志田さんはしかし、過去に何度も「死」を考えたという。
 昭和21年、一宮の東浪見生まれ。姉がメルボルンオリンピック(31年)の女子ヤリ投げ代表となるなどスポーツ一家に育った志田さんは、自らも野球で頭角を現し、当時甲子園への近道と言われた法政二高に進学、新入部員だけで350人というなか1年生からレギュラーの座を射止めた。  
 ところが、上級生の厳しいしごきにより脾臓出血で入院。紫斑病と診断され生死をさまよっている間、熱で腎臓が犯され、それが徐々に進行して11年後、26歳で透析生活に入る。千葉工業大学卒業後、就職した建築研究所(県の外郭団体)もその前年に尿毒症となり退職。
「2〜3年の命と宣告されていました。でも交際を始めたばかりだった女房が『家庭生活を味あわせてあげたい』と」。野舞夫人と結婚したのは透析導入の2ヶ月前のことである。
 だが、新婚の幸せ気分も束の間だった。同じ年、薬害等により右目が突然の発作。緑内障…激痛の末、視力を失ったのだ。そして「まだ左目がある」との希望とは裏腹に、翌年、27歳になったばかりで同様に左目の光も失った。
「命を助けるためには視神経を焼くしかなかったんです。手術台に上る前、『最後に奥さんの顔をしっかり見ておくように』と医者から言われ、それが自分の目で見る最後の風景になりました」。

 今、失明したことで「人の考えや鳥の会話など、様々なものが見えるようになった」とおだやかに語る志田さん。  
「急に何も見えなくなり、当初はいろんなことが起こりました。平衡感覚も失って生傷が絶えず、ただ、死ぬことしか考えられない。鬱病ですね。そんな私に生きる力を与えてくれたのは息子の誕生です。オギャアと泣くわが子を抱き、『この子を片親にはできない』と。それに加え、見えないことをプラス作用に考えること、歌を始めたことで私の人生は変わりました」。

 自費出版でCDも出した。そのうちの『九十九里恋歌』(ポップス系)は、NHK番組『あなたのメロディ』(一般の人がつくった曲をプロが歌って競わせる番組)で森昌子が歌い優勝した曲で、元ジャズ歌手の姪が組織するOJBバンドが編曲、演奏を担当した。   
「夫婦二人で一人前」とコンサートでは野舞夫人が司会。  
 一宮駅そばのカラオケスナック「コーヒーカップ」(土曜はライブ有)はそんな二人の小さな城だ。
 ちなみに志田さんは失明後に独学で占いを勉強。名前の画数が最悪であることに気づいて現在の「二三雄」に漢字を改めた。「それから運勢が開けた」という志田さんのもとには、都内はじめ遠くからも姓名判断等相談者が訪れている。
「目が見えないことは占いに役立っています。困っている方のご相談に乗るのも、これまで生かしてもらっている社会への恩返し」。 (富)

《お問い合わせは》
志田二三雄さん 
電話 0475-42-4660
奥様の野舞さんと

 



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