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夫婦で目指すパラリンピック
 〜車いすテニス 川島 徳江さん・正美さん〜
徳江さん(左)と正美さん

 昨年秋、シドニーで行われたパラリンピック。オリンピックの直後、12日間の日程で開催され、日本は水泳、柔道、陸上などで金メダルを多数獲得、銀・銅との合計数41個と、アトランタを上まわる素晴らしい結果を残した。
 世界中の障害をもつアスリート達が集うこの祭典に、市内菊間の川島徳江さんが車いすテニスで出場した。アトランタの時は選考会で惜しくも出場を逃したが、その悔しさをバネにシドニー出場をつかんだ。現在はアテネを目指して、ご主人の正美さんと練習に励んでいる。
 仙台に住んでいた徳江さんは18歳で交通事故にあい、車いすの生活になった。高校時代の先輩が紹介してくれた車いすテニスのグループに参加したものの、まだうまく車いすを動かせず、やめるつもりでいた。「でも、皆がプレイしているのを見ていて、自分も同じ車いすに乗っているのにと悔しくなって、通い始めたんです。車いすの使い方は、日常生活で足代わりとするうちに覚えました」。やがて大会へ参加し始めると、勝ちたいと思うようになった。
 徳江さんが車いすテニスを競技として考え、勝負にこだわるようになったのは、10年前のご主人・正美さんとの結婚がきっかけだ。正美さんは、仕事中の事故で車いすとなり、市原で生活していた。徳江さんと同時期に千葉でテニスを始め、互いに初心者同士で大会中に会う。二人は8ヵ月後に結婚、徳江さんは仙台から市原に来て、千葉市古市場のテニスコートで二人だけの練習をスタートさせた。5年後、徳江さんは常に全国大会で上位に入るようになり、パラリンピックを考えるようになったという。「仙台での練習は1週間に1〜2回、2時間程度。主人との練習はほぼ毎日、4時間くらい。自分のためだけの練習ができるから上達したのだと思います」と徳江さん。
 正美さん自身も選手だが、徳江さんが強くなるにしたがい、コーチ役を務めるようになった。「私は自分のテニスで勝敗を重要視していないので、彼女のための練習を中心にしているんですよ」。練習中や試合後には、徳江さんのプレイの弱点や判断を間違えたところなど、アドバイスする。「彼女のプレイだけを見てきたので、彼女の好不調は分かることが多いんです。だから彼女には助言できますが、他の人のコーチはとてもできません」と笑う。
 二人で行ってきた練習で、徳江さんが手にした強力な技がある。ボールにスピンをかけ、バウンドしたボールの方角を変えるものだ。車いすテニスは通常のテニスとコートの広さもルールもほぼ同じだが、ボールのバウンドのみ2回。当時、日本の車いすテニスの女子で、スピンをかけられる選手はいなかった。「それもあって95年頃から常勝するようになったんですよ」と正美さん。
 毎年12月、その年の全国チャンピオンが決まる大会が柏で開催されている。出場者は年間ランキング上位者で、男子16名、女子8名。この大会への出場を夢見る車いすテニスプレイヤーも多いという。徳江さんの戦績は2位、5位、優勝、優勝、2位、優勝。アトランタからシドニーまでの4年間は、海外での試合を重ね、国際舞台も経験した。近年、国内外のライバル達は、彼女の得意なスピンを警戒し、右利きプレイヤーには打ちにくい左サイドを狙ってくる。二人はアテネにむけ、一発のチャンスで相手の脇を抜けるような、スピンをかけてもあまり速度の落ちないストロークを研究中だ。「なかなか試合で成功しなくて、落ち込んでしまう。練習も辛くなってしまうんです」と徳江さん。それを正美さんは、長い目で見守っている。「今は忍耐の時期。最初のスピンも完成するのに1年以上かかりました。アテネ出場のために勝たなければいけない試合は来年から。焦ることはないと言っているんですが」。その言葉を受けて徳江さんは、「結局は負けず嫌いだから、意地みたいにやるんですよね」と、明るく笑った。
 正美さんが脇からボールを出し、徳江さんはそれを打ち込む。単調な、だが、熱の入った練習が、3年後のアテネ・パラリンピックへ向けて続いている。  (米)

練習中の徳江さん。
使っている車いすは旋回性能を向上させた競技用。
前に小さなタイヤがついて三輪車になっている。

 



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