廿五里(ついへいじ)で梨農家を営む山越和利さん・生枝さん夫婦を、時折訪ねる人がいる。かつて農業体験にやってきた研修生達だ。山越さん宅では父親が指導農業士だったことから、県内の農業大学校や農業高校専攻科の生徒を預かってきた。それは父親が亡くなった今も続いている。
研修は、秋と冬が枝の剪定、春は受粉、夏は収穫。季節ごとに変わる。期間は1カ月、あるいは3カ月で学校によって違うが、滞在するのは一期間一人。研修はすべて無償である。食事も寝具も受け入れ農家が持つ。さらに山越さんは、やってくる子のために新しいノコギリと剪定バサミも用意する。
新婚早々から人の子を預かることになった生枝さんは「料理が得意じゃなかったので、食べ盛りの子にどんなおかずを作ったらいいのか、考えてしまいましたね。でも家に他人が入ることは、特別不安ではありませんでした」と当時の心境を語る。
さて、滞在中の研修生は「ごはんですよォ」という生枝さんの声で目をさます。家族一緒の朝食を済ませ、畑に出る。
作業開始。未経験の子ばかり。手取り足取り教える。剪定は特にむつかしい。良い実がつきそうな枝を残し、いらない枝は切り落とす。間違って必要な枝を切ったら大変だ。ほとんどの子が枝を見つめたまま、考えあぐねている。
日が暮れると仕事も終了する。あとは自由時間。テレビを見たり本を読んだり。「来て一週間くらいたった頃、たいていの子が体調を崩します。環境に慣れて緊張がとれるのと、里心がつく、の両方でしょうね」と生枝さん。休ませて、おかゆや口当たりの良い物で様子を見るが、場合によっては病院に連れて行く。
雨が降れば休みになる。過ごし方はさまざま。行きたい所がある子には車で送る。時には和利さんが遊びに誘ったり、女の子は生枝さんと一緒にショッピングに出かけたりする。
これまでに色々なタイプの子がきた。起床後きちんと布団をたたみ、机の上にまとめたレポートを置いている子もいれば、無頓着な子もいる。生活の中で気づいたことは遠慮なく言う。たとえば「山越農園にいる間は、研修生とはいえ家の人。私は他人です、にならないように、お客さんにきちんと挨拶してね」
というふうに。
「朝食はいらない。そのぶん長く寝かせてほしい」という子がいた。希望通りにしたが、畑仕事はお腹が空く。動作が緩慢になり、集中力がなくなっていくのが分かる。生枝さんはカップラーメンやおにぎりを10時の休憩で摂らせた。4日目の朝「サァ仕事に行くよ。朝メシ食べるか」。和利さんが声をかけると、うなづき、それからは朝食を摂るようになった。徐々に規則正しい生活が身についていく。
一方で、作業着を一枚しか持って来ない子の洗い替えや、9月半ばに入って寒い日があると半袖しか持って来ない子のために、長袖を買いに走った。勉強熱心な中国人研修生のために、専門書を探して東京まで付き合ったこともある。まさに親代わりである。
ところで山越さん宅では滞在期間中、料理を一品作ることになっている。メニューは何でも可。食材は一緒に買いに行く。焼きそばあり、カレーあり。サラダは「ある子のトマトの切り方が私とは違ったの。他愛もないことなんだけど、何だかとても新鮮に感じられました。中国の子には本場の中華料理を教えてもらい、秋祭りでお客さん達に食べていただきました」。
夜、晩酌する和利さんにつきあって、話し込む研修生もいた。育児中には、忙しい生枝さんに代わって子どもにミルクを飲ませてくれたり、大きくなると本当の兄弟のようにふざけあったり、家族全員と関わった。
さて、最終日には送別会を開く。みんなの前でお別れの挨拶をする姿は、気のせいか少したくましくなったように思える。「頑張ったね」のお餞別と、プレゼントされた道具を手に去っていく。「少しでも後継者育成のお手伝いができれば」と言う二人である。
最初の研修生を預かったのは和利さんが27才の時。若かった。期待する気持ちが大きく、教えてすぐできると考えていた。しかし違った。ジレンマが生じた。相手は19才。未経験。「できなくて当たり前なのだ」と、年令とともに評価の基準を変えられるようになった。すると「予想以上によくやってくれた」と思えるようになり、ほめることが多くなった。「変わりましたね。研修生を預かることで、自分自身も成長できたように思います」と17年間を振り返り、44才になった和利さんが言う。
昨日も元研修生が遊びに来た。短期間の触れ合いではあるが、心に残るものがあるのだろう。たくさんの礼状や、結婚式の招待状、子ども連れで遊びに来てくれる事実がそれを物語っている。(不)