通りから田んぼの畦道を走った、高台にその家はあった。「よく車が田んぼに落っこちるから気をつけて来てね〜」と取材申込み時に言われたことを思いだし、少し躊躇した時「こっちこっち、うちからアンタの姿が見えたわよ」と自転車に乗った女性が現れ先導してくれた。養日フミ子さん?だ。
表札は出ていないが、母屋の玄関近くの戸袋に「ようかうじ」と彫られてある。家を建てた時に大工がほどこしたという。養日と書き、『ようか』と読む。(「うじ」とは「氏」のこと)。敷地内には、昭和元年(1926)に建てられた、現在は養日良夫さん?とフミ子さんご夫婦が住む母家と新築の息子さんの住宅、物置などがある。
フミ子さんが「うちの目印はジョウボの長い家。ジョウボは道路から入口までのことよ」と言っていたが、とある本によると、かつて上総地方の一般農家では生け垣が門の役割をしていて、これを「ジョウボ」と呼んだという。どちらが正しいのか分からない。
山へタケノコ採りに行っている良夫さんを待つ間、家の裏手にある横井戸とかまどを見せてもらう。裏山の斜面に横穴を掘り、岩の中を通る水が溜まるようつくられた3つの横井戸があった。「私が嫁に来た頃は水道がまだなかったから、この井戸から水を汲んで飲み水にもしたし、洗濯や炊事をしたの。10年近く前から宅地造成が進み崖を崩したので絞り水がなくなって、今は水も少し湧いてはいるけれど、樋から雨水を引いて鯉や金魚を放したり防火用とか水洗トイレに使うぐらい」とフミ子さんは話す。どの井戸も満々と水を湛え、表面こそ濁ってはいるが、柄杓ですくってみると澄んでいる。
かまどは畑の土を使った良夫さんの手づくり。大きいかまどでは畑で採れたコンニャクイモからコンニャクを作るのに、小さいかまどは餅米をふかしたりタケノコをゆでるのに使う。かまど近くには、「かや小屋、くず小屋って言ってるんだけど、焚きつけ用の落ち葉を貯めておく所」がある。薪割りもフミ子さんがやるという。
良夫さんがタケノコ採りから戻ると、「今は私達ふたりだけだから普段いる部屋しか掃除しないのよ」と笑いながら、10以上も部屋のある2階建ての家を案内してくれた。築約80年経ち、ガラスをサッシに替えるなどしたが、高い天井、2階まで通し柱になっている大黒柱に恵比寿柱、釘や筋交いを使っていない柱と梁など、ほとんど昔のままだ。「今の家は筋交いがいっぱい入ってるけど、この家は1本も入ってない。壁がないからね。だから造りとしては弱いんだけど、山を切り取り岩盤の中に建てた家なので地震に強い。先日もでかい地震があって、近くのゴルフ場にいて立っていられないほど揺れたけど、家にいた家内は何ともなかったって」と良夫さんは話す。
20年前まで、桑を栽培し蚕を飼い繭を生産する養蚕農家だった。「40年ぐらい前が最盛期で、この集落でも15軒ほど蚕をやっていた」。今では1軒だけ養蚕を続けているそうだ。
お話を聞いている途中で、「本家のおとっぁん」が1冊の本を持ってやって来た。良夫さんの曾祖父の代まで、『美世堂』という屋号の家伝薬を売る農家でもあり、当時、五郡(千葉、市原、夷隅、長生、山武)の資産家が紹介された『総州五郡実業家必携』(明治30年発行・70銭)という本の巻末に広告が掲載されていると差し出す。服用法や効能、値段などが記載されていた。「性病の薬を作って売っていたんだって。だから、来る客は皆『ひとに頼まれて買いに来た』と言ってたらしいけど(笑)、強い薬なので初めての人には投薬後に様子みてから調合して売ってたんだと爺さんから聞いた」と、良夫さんが話す傍らで、フミ子さんも「その頃、手伝っていた婆ちゃんが、薬を買いに来た人が様子をみるために何日も泊まっていくので、食事の支度とか大変だったと聞いたわね」と付け加える。代々伝わる秘伝薬なので、「薬屋は爺さんが跡継がないっていうことで、材料や調合法などは分からない。口伝えだけで書き残したものもないし」と良夫さん。
今も唯一残るのは、薬を調剤するのに使った道具、薬研のみ。深くV字型にくぼんだフネと木製のハンドルのついた円盤状のローラー。フネの中に薬草を入れ、ローラーを前後に転がして薬草を細かく砕いて薬を作った。「数年前まで親父が使ってた。種を取って干したトウガラシを細かく切って薬研で粉にしてたよ。昔は、ミカンの皮を干したやつとゴマ、煎った落花生とかも薬研でゴリゴリやって粉にして味噌汁に入れたり漬物にかけたりしたね。温まるので冬に食べることが多かった」と、良夫さんは懐かしむ。
「しころ」と呼ぶ母屋の軒下で、猫が気持ちよさそうに寝そべり、庭先では放し飼いの鶏が餌をついばんでいた。 (内田)