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自身の生き方が問われる介護
自分を大切にできなければ
続かない

 高齢化が進む中、子育てが終わったら親の介護という人も少なくない。市原市国分寺台に住む喜多庸子さん(56)は、認知症のある義母千代子さん(90)を在宅で介護する。3年前には、自宅近くに80歳を過ぎた実家の両親も引っ越して来た。「介護とは、最終的にその人の生き方が問われる場だと思っています」と、自身の体験を発信することで介護する多くの仲間と思いを共有できる場をつくりたいと話す。
 北海道で暮らしていた義母の千代子さんが、同居するため市原に来たのは20年前だった。「当時、まだ母は元気でした。私は子育て真最中、長男が4歳、次男は生まれたばかり。結婚する前は看護婦をしていたので、子育てが一段落したら社会参加したいと思い、介護保険がスタートした6年前、ケアマネージャーの資格を取りました。下の子も高校生になり、これからという時に、私がガンになってしまいました」と話す。
 庸子さんは高齢の義母を北海道にいる夫の妹に預け、手伝いに実家の両親を呼んだ。無事退院できた3ケ月後「今度は私が嫁を看る番」と、交替で千代子さんが帰って来た。とはいえ84歳という高齢、直後に大腿骨を骨折して入院。その後も大病を患い、入退院を繰り返すことに。「抗ガン剤で髪も失ったままの状態で、私は母を看病しました。他に世話をする人がいない訳ではないのに、体調が思わしくない私がどうしてと恨んだこともありました。その時、闘病中の友人から『人間の価値は人にどれだけしてもらうかではなく、どれだけ人に力を貸せるかということ。こんな状況の中で、人に貸せる力があるということは貴女の生命力の証。安心して、看てあげなさい』と言われました。私は、その言葉に救われました」という。
 その後、千代子さんの認知症は徐々に進行していった。仕事に忙しい夫の信仁さん(56)の分までより良い介護を提供したいと庸子さんは頑張った。「治療法など王道がある病気とは違い、介護に王道はありませんでした。その度に情報を寄せ集め、考えるしかありません。それに介護は24時間、最も大きなストレスは自分だけの時間が持てないことでした。その時も介護を体験した母の知人から『自分を大切にできない人に、介護は続けられない』と言われました。その言葉で再び救われ、私の介護に対する気持ちは大きく変わりました」
 自分のためだけでなく次へつなぐという社会的な視点で介護に取り組むことで、庸子さんは日々前向きになれたという。「夫とも話し合いを重ね、デイケアサービスやショートステイを利用することで互いに救われました。その時、何より大事にしたのが母のプライドでした。わが家では、お茶碗を洗うのと、コーヒーを入れるのは、今も母の役目です。茶碗が汚れていたり、大量の水を流し放しにするので水道代もかかりますが、母の仕事として大切にしています」と、庸子さんも信仁さんも、千代子さんが参加できる場を出来るだけ暮らしの中に作るようにしている。
 また週に3回、近所に住む庸子さんの実母も交えて食事を作っている。行事があれば、皆で食卓を囲む。「健康面、生活面、食事から見えて来る事や食でつながることで得る情報は多いと思っています。それに母と義母はライバルですから、互いに競いあうのも刺激になります(笑)」。多少認知症が出てきた実母を考慮してのことでもあるという。「両親は利尻から見知らぬ市原に来たので、ご近所との交流が悩みです。介護の必要な高齢者が行く場所はあっても、元気なお年寄りが行く所が少ないのが現状です。父は犬の散歩や家庭菜園を通じてご近所と交流しているようですが、母はどうしてもこもりがちです」と話す。
 このような介護に関する様々な悩みを語り、互いの情報を共有できればと、庸子さんは地域で支えあう宅老所『中村さんち』のボランティア活動に参加している。「認知症には、介護する側にもそれぞれ段階があります。少ない情報の中で、苦しみ、悩んでいるのは自分たちだけではないと、これまでいくつもの壁を乗り越えてきました。最終的には感謝の気持ちに行き着くようですが、私たちがそこまで行くにはまだ乗り越えなければならない壁があるようです」と、今後は同じ立場の人をネットワークしていきたいと話す。 (国安)

 



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