結婚に対する意識が多様化するなか、国際結婚も増えている。市原市八幡に住む内藤晋也さん(44)、元元(げんげん)さん(34)、中国で知り合って1997年に結婚したご夫妻。2000年に日本へ移り、現在は息子の航介くん(7)、博人くん(3)、晋也さんの母・寿美子さん(64)の5人家族で暮らす。おふたりを自宅に訪ねた。
ふたりが知り合ったのは、晋也さんが勤めていた中国・陜西省にある日本の大手企業系列の国際観光ホテル。中国の伝統的建築で広大な庭園を持ち、スタッフは日本・中国・アメリカなど様々な国籍の約600人。晋也さんは支配人、元元さんはスタッフのひとりだった。ふたりの交際が始まったのは、彼女が他の日系ホテルへ転職してから。晋也さんは毎週のように彼女へ電話をかけた。「優しい人だったので、いいかな、と思いました。その時に、国の違いはまったく考えていませんでした」と元元さん。晋也さんも、「私も意識しなかったですね。たぶん、高校時代から長期休暇の度に、パイロットの資格を取るため渡米し、大学時代からは米軍横田基地でパイロットの教官をアルバイトでするなど、アメリカ人や他の国の人たちとの交友が多かったためだと思います。国籍も人種も様々なことが当たり前で、国際結婚は特別ではありませんでしたから」と話す。元元さん、晋也さんの両親からも反対はなかったという。
結婚して3年間は、晋也さんの勤めるホテルの外国人スタッフのための寮で生活。99年に長男が誕生し、子育ての合間、元元さんは同じ寮にいる日本人料理長の奥さんから、日本の料理や習慣などを習った。2000年、晋也さんの父が他界したため、日本へ。そこで元元さんが驚いたのは親との同居。「中国では結婚すると親とは別生活になります。近くに住むことはあっても同居はないんです」。しかし、日常の中で分からないことが数多くあった元元さんにとって、義母の寿美子さんの存在は、心強い存在だった。ゴミ出しの方法から、近所や地域のこと、生活に関わる細かいことを丁寧に教えてくれたという。特に元元さんが当初困ったのは、書類の作成。大学で日本語を学び、ホテルの業務で会話もほとんど支障なく話せていたが、税金や保険、住民票、学校の入学手続きなど、様々な行政関連の書類は、日常で使わない単語ばかりが並んでいて、さっぱり意味が分からなかったという。「次男が生まれ、検診などのお知らせが来ても、それが何か読んでも理解できないんです。手続きする窓口、記入する書類など、ひとつずつお義母さんに教えてもらって。日本に来て約1年は周囲に友人もなく、子どものしつけや接し方で迷ったときは主人に相談しました。仕事が忙しくても、私がつい甘やかして手をかけすぎたときは、子どものワガママだと叱ってくれたり。助言もたくさんしてくれました。寂しさからホームシックになり、帰りたくてたまらなかったこともありましたし、心細くて不安もあったけれど、家族に頼れる人がいたから、何とかなったんだと思います」
今の元元さんの楽しみは、国際交流協会の日本語教室。様々な国籍の人たちが集まる教室で、交友関係が広がった。「1週間に1回、皆でいろいろ話していれば日頃のストレスも解消します」。共通した悩みは子育てのこと、仕事が見つからないこと、そして日本人のご主人は仕事関係の飲み会が多過ぎる、ということ。「家族の時間が少なくなりますし、体のことも心配です」。そして、長男が小学校へ入り、元元さんが初めて知ったのがPTA活動。「中国では、親が学校に関わることがないんです。年に2回、参観日に行く程度。保護者の交流もありません。日本では学校行事への参加もありますし、バザーや草取り、いろいろありますよね。最初はとてもとまどったのですが、これは同じ年の子どもを持つ母親の友人を作る良い機会になるかな、と考えるようになりました」。晋也さんも、積極的に活動しようとしている元元さんを応援する。
「国際結婚は、国によって社会システムや言葉が違い、知らないことが多い分、大変なことが多いので、生活のなかのとまどいや疑問はその都度、話し合って理解していくことが基本。経験すれば分かることも多いですし、信頼できる家族と助け合い、支えあうことが一番かな、と思います」とふたりは話した。(米澤)