家庭を支える基盤は、家族の皆がひとつの生き甲斐で結ばれていることほど確かで幸せなことはない。家族のそれぞれが別の方向を向いていたり、お互いがただ向かい合っているだけでは、家庭としての力は分散されてしまう…。そんなユニークな家庭づくりに力を合わせる家族がいる。千葉市に住む花岡家の皆さんだ。
「夢はF1のトップレーサー」という一人息子の翔太君(18)を13年間にわたり一丸となって支え続けているのが父親の寛さん(55)、母親の富子さん(55)、祖母のきくゑさん(83)の家族だ。
翔太君がモータースポーツの世界に入ったのは、「子どもの頃からF1が好きでレーサーになりたかった」という寛さんの影響。5歳でポケバイに乗ったのが最初。翌年には千葉北杯Fクラス優勝、桶川カップFクラスシリーズチャンピオン。これは最年少記録で、その後も7歳でA級ライセンス取得、8歳で特Aライセンス取得と最年少記録を塗り替えた。こうして小学4年生の時、やはり史上最年少で全日本チャンピオンに。
「ひとつのことを始めた以上は、それをきちんと成し遂げなくてはなりません。丸5年で全日本チャンピオンになったことで、目標をクリア。次のステップに進んだわけです」と富子さん。そして1998年1月、10歳でカートに転向。翌月のデビュー戦となる茂原チャレンジカップに出場、優勝を飾っている。その後、レーシングカートのメジャーシリーズ挑戦をめざす翔太君は、2003年度(16歳)の鈴鹿選手権MFCクラス・シリーズ3位、2004年度(17歳)、アジアパシフィック選手権ICAクラス10位、M4レースの参戦など順調にきたが、残念ながら昨年は怪我のためレース活動を休止した。
「翔太君は特異な才能で注目されている少年である。動体視力や冷静な対応力など、何年かに一人しか出ないような先天的な素質を持っているので、プロの周辺から『モータースポーツの明日を切り開く存在になりそうな予見がする』という声を聞く」と言うのは、『花岡翔太君をF1トップレーサーに育てる会』の会員(個人60名、法人3社)である伊藤悠可さん(東京・板橋区)。もう一人の片山千歳さん(兵庫・赤穂市)は「速さと精神的な強さは確かだが、レースを自分で組み立てる、つまり最終的に1位になるための運び方を身に付けてほしい。また、1年を通じて経済的に整った態勢で戦わせてあげたい」と言う。これら支援者達の熱い思いに応えたいと、翔太君も「今年こそ正念場」と意を決している。この春、高校を卒業後は鈴鹿市内の?アスト(ホンダの下請けの派遣会社)に勤めながら、鈴鹿サーキットのメーンやショートコースで本格的にフォーミュラーカーの練習に入る。
花岡家の家族はレースが行われるたびに、翔太君の応援に揃って出かけるのがしきたり。「両親と祖母の笑顔と声援をいつも受けて、ずいぶん励まされている」と翔太君は振り返る。また、両親と共に過ごす機会が多いので、親子の間柄は何でも話し合える友達のような感じだ。一方で、「きちんと計画を立てた上で行動せよ」、「決して無茶をするな」などロジカルな部分の助言をしてくれる父は「言うならば人生コーチかな」と言う。お母さんは?と聞くと「癒しのコーチかな」という返事。「カートに乗っている時の翔太君の顔は違う。普段には見られない真剣そのもの」というような、子どもにとって嬉しくなる温かな思いやりの言葉をしばしばかけてくれるからという。
日本はモータースポーツの後進国とよく言われる。自動車先進国でF1のワールドチャンピオンを出したことがないのは日本だけだからだ。町内の野球大会にお金を出しても、モータースポーツの大会に予算がつくということはあり得ない。とにかく、モータースポーツの場合は費用がかかりすぎる。全日本選手権(レーシングカート)に参戦するだけで、シャーシ、エンジン、タイヤ、エントリーフィー、遠征費など諸々を合計すると、年間(6〜7戦)で500万円以上に上るという。自営業を営む寛さんは売上からの持ち出しが大半。「今、増えつつある、モータースポーツを志す少年達を励ましてくれる方々の理解が高まることを切に願っている」と言う。富子さんもじっとしていられない。パートに出てサポートしている。寛さんは「もう限界」と笑うが、花岡家では家族が一丸となって翔太君の夢の実現に向かっているのだ。(井上)