米本憲司(60)・栄子さん(58)夫妻は船橋市の自宅から、毎週末、大多喜町紙敷に通い、茅葺き民家とログハウスで過ごす。
大手電気メーカーの営業マンだった憲司さんが退職し、オーディオ技術関係の仕事で独立して、週末だけの田舎暮らしをしたいと言ったのは40歳のとき。「晴天の霹靂でした」当時を振り返り、栄子さんは苦笑する。が、憲司さんにとっては、仕事中心のハードな生活に心身共に疲れ、趣味の釣りも楽しめる海へのアクセスも良く、大好きな音楽も近所に気兼ねなく聴ける山里での週末暮らしをと考えてのことだった。完全な移住ではなく、週末だけとしたのは、平日は都心部の取引先に通わなければならないし、仕事で必要な電気部品や情報入手に、利便性の良い船橋での生活を捨てることはできなかったから。一方、栄子さんは印刷会社に勤めていたが、病気を患い体調を崩したため、大多喜へは「英気を養うつもりで、別荘にでも遊びにいく気分だった」。ところが、そうはいかなかった。
チャレンジ精神旺盛、モットーは「積極的に!」の憲司さん。やろうと思ったら突き進む。「お金がないからとあきらめるのでなく、お金をかけずにやる方法を考える」。そんな憲司さんと共に行動しようという人間が現れ、人の輪が広がる。
まず、憲司さんが取りかかったのは、何十年も空き家だった茅葺き民家に手を入れ、住めるようにしたこと。次に、ドラム缶炭焼き。そして、リサイクル材を使い5年がかりでログハウスを建て、自然エネルギーに着手したのが7年前。「自給自足を目指すので電気が必要。そこで太陽光パネルを」。現在、ログハウスで消費する電力は、庭に設置した太陽光パネルで発電したもの。昨年、名古屋で開催された『愛・地球博』地球市民村で憲司さんは自作のアンプを出展した。太陽光パネルからとった電力で稼働する二酸化炭素を排出しない自然エネルギーが電源だ。5年前からは、『紙敷自然塾』を始め、エコキャンプ、手作りの石窯でピザ焼き、ジャズライブ等を行い町内外の人達に参加を呼びかけた。4年前には元JICA(国際協力機構)のタンザニア在住の日本人との縁で、タンザニア人を大多喜の自宅に招き、炭焼きと太陽光を利用するソーラークッカーを体験させた。これをきっかけに、この春、大多喜町の『れんげまつり』でタンザニアの民芸品の展示・販売、交流の場を設けることに。
また、依頼を受け、地元の小学校前にあるバス停が暗いので、太陽光パネルで電気を、夷隅神社にも庭園灯をつけた。「自分の知識や経験が地元の皆さんに役立ち、喜んでもらえるのが嬉しい」と憲司さん。次は風力発電をと、裏山を借り風車を設置する予定。集落に街灯がなく危険なので道路に街灯をつけたいという。
これらの活動を行うのは、憲司さんや元同僚、趣味を共にする「仲間」だが、食事の支度や片付けをするのは栄子さん。「この18年間、大多喜で夫婦ふたりだけという日はほとんどなかった」というほどで、多い時は10人ぐらい泊まりに来ることもあった。「食事の支度が大変でイヤだなと思っていたのですが、ここ数年やっと悟りの境地に(笑)。主人が楽しんでるなら自分も楽しんじゃえと。なにより主人の活動を通して様々な人と接することで、内にこもりがちだった私の目が外に向くようになりました。大多喜に来るようになって数年後、私も会社勤めを辞めたので、船橋で普通に主婦して主人が会社勤めを続けていたら、きっとこんなに色々な人達と知り合う機会はなかったでしょうね。彼はビックリ箱のような人。次々と新しいことを始める。少年っぽいところもあって、そこが魅力なの。私達は子どもはいないし、ふたりが食べていけたらいいやと腹をくくってる部分もありますが」と、栄子さんは話す。
東京に住む米本さんの両親や兄弟も、大多喜の家を訪ね作業の手伝いはもとより「無言の支援をしてくれる」という。常に、親族、仲間、大多喜の人達などに支えられ、今の自分達夫婦があると感謝の気持ちを語る。(内田)