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認めあってこそ夫婦育ててこそ親

 「人生に追いつめられ2度もリストカットをしたことのある私だって、今はこんなに幸せです。同じ悩みを持つ人のお役に立てたら」と、北田知子さんはカウンセラーの仕事を選んだ。『よりよい自分を目指す人のための援助者』となるために学ぶことは、これまで胸におさめていた自身の結婚、離婚、再婚を客観的に見直す機会にもなったという。
 北田さん24歳の時。たまたま知り合った容姿の良い相手と恋愛関係になるのに時間はかからなかった。相手の性格を知る友人からの忠告もあったが、妊娠を機に入籍。その直後から北田さんへの暴力が始まった。身ごもった身体は階段の上から蹴落とされ、最初の子は流産。パトカーを呼んだことも何度かあったが、当時DV(ドメスティックバイオレンス)の言葉さえもない時代、夫婦げんかで片付けられた。「私が実家へ避難するたびに手みやげをもって迎えに来ました。こんなに優しいのだからやり直せるかもしれないと、情にほだされ帰るということを繰り返しました」。子どもが生まれればおさまるかと、その後2人の娘を出産。子どもには手を出さなかったが、酒が入るとささいなことでも爆発するようになり、暴力はますますエスカレートしていった。振るう相手も妻だけでなく同居していた実の母親や障害のある叔母、2人の妹にも及んだ。
 「幼児性から抜けられない大人だったんです。原因は彼が育った家庭環境にありました。母親の溺愛。そして彼が高校生の時に女性と出て行った父親は、何でも彼に責任を押しつけたそうです」。命に危険を感じた北田さんは身ひとつで実家へ避難した。最大限譲歩した条件を出し、1年かけて離婚調停に臨んだが、経済力がないということで子どもを引き取ることは叶わなかった。調停では離婚後も会っても良いことになっていた子どもたちだったが、その後9年間会わせてはもらえなかった。街で同い年位の子どもを見ると、わが子と重ね合わせる自分が悲しかった。
 北田さん35歳の時。一番辛かったという時期にも新しい出会いがあった。「相手も結婚に失敗した離婚経験者。私にとっては、よき理解者であり、家族を失った心の空洞を埋めてくれる大切な人でした」。お互い結婚には臆病になっていたが、再婚を決意。その後、成長した2人の娘は自分の意志で北田さんのもとへやって来た。式にこそ出席できなかったが、娘たちの結婚式の準備を一緒に出来たことは、思いがけなくうれしいことだったと話す。再婚相手の子どもたちともオープンな付き合いを続けている。今はみな独立し、休みには孫を連れてやって来る。「離婚は当事者の問題ですけれど、一番の被害者は子どもです。娘が私の手元に戻って来てくれた時も9年間のブランクは埋められませんでした。思春期の子に、今さら母親として接するのは無理がありました。私も育ててあげられなかったという後ろめたさを感じていました。だから母親ではなく、ひとりの人間同士として向き合うことにしたのです。血縁があろうとなかろうと親子も夫婦も、その時々で自分の立場を見極めることが大事だと思います」と北田さんは話す。
 「結婚も20年以上も経てば、お互いわがままも出てきますが、今は定年退職した夫が主夫をしてくれていますので、私が安心して仕事に出られます。夫には本当に感謝しています」。一緒に食べてくれる相手がいるから料理も作る張りあいがあるというもの。そして、食卓は1人より2人、2人より大勢で囲んだ方が楽しい。家庭は癒しの場でなければならないと北田さんは思う。「32年前と今では、結婚や家庭に対しての概念も変わってきました。ただ、その結果生まれて来た子どもたちが犠牲者になってしまうことを考えなければいけません。子どもを育てる基本は家庭です。家庭環境は、その子の人生形成に大きく影響します。結婚も離婚も互いに責任をなすりつけるのではなく、自分自身で責任をとって自身を変えていくことが大切だと思います」。再婚した今の夫との間に子どもはいない。犬が子どもがわりだと笑う。 (国)


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