| 自殺、ガンなどの病気、阪神大震災などの災害で親を亡くした子どもたちを物心両面から支える民間非営利団体『あしなが育英会』。将来の夢を託して進学を希望する高校生や大学生に奨学金を出して支援する他、傷ついた子どもたちの心のケアをサポートする。毎年夏休みに開催される『つどい』では、共通の体験を持つ遺児同士が親との死別体験を語ることで苦しみを分かち合い、自立に向けて歩き始める。
「私が5歳のとき、父は5年間の闘病の結果脳腫瘍で亡くなりました。幼かった私は当時のことを、あまり覚えていません。病院の記憶も看護婦さんと遊んだことくらいです。9歳上の姉は当時14歳。母と姉にとってはとても辛く悲しい体験でした。その後、母はあまりのショックと看病疲れで体調を崩してしまい病気がちでした。テレビで病院のシーンが出ただけでチャンネルを変えてしまう母を見て、父のことは聞いてはいけないと思い込んでいました。以来『おとうさん』という言葉は、わが家ではタブーでした」。
現在、法政大学2年生の岩上里恵さん(市原市在住・19歳)が、初めて『つどい』に参加したのは高校1年生のとき。高校進学時、きびしい家庭の経済状況を考え、あしなが育英会の奨学金を受けたのがきっかけだった。2日目のプログラム『自分史』の時間。参加者が順番に親との死別体験を話していく。聞いているのが辛くて耐えられなくなったところへ、自分の番が来た。それまでタブーだった『おとうさん』という言葉を口にするだけでも、かなりの時間を要した。
「でも、話したことで私はとても楽になりました。自分の気持ちを理解し、共感してくれる仲間に出会えたのです。それから、私の心の整理がスタートしました」。つどいの後、理恵さんは母親に思い切って「おとうさんて、どんな人だったの?」と尋ねてみた。質問を重ねる度に、母親は一つひとつ噛みしめるように話してくれた。「母は弱いところを見せない強い人でした。身体を悪くしながらも、私たちに心配させまいと、いつも明るく振るまっていました。だから、よけいに聞くことができませんでした。祖父母から聞いた話では父と母は大恋愛の末の結婚だそうです。最近では、母ともずいぶん突っ込んだ話ができるようになりました。人生の伴侶を失うということがどんなに辛いものか、私にも何となく分かってきたような気がします」。父親のことをもっと知りたいと思った里恵さんは、かつての父親の職場の上司に手紙を出した。その返事には、家族も知らない職場での父親が綴られていた。「父がいなければ、私はこの世に存在しませんでした。これまであたり前と思っていた母と姉と3人の生活に、私を生んでくれた父が加わることは、とてもうれしいことです」
高校卒業後、理恵さんは奨学金を受けて大学に進学した。父親が亡くなって14年、初めてつどいに参加してから5年になる。大学2年生のいま、あしなが育英会の事務局の大学生スタッフとして、募金活動や遺児の心のケアを継続的に行うための『東京・虹の家』建設に向けて活動する。また昨年は、世界99カ国の子どもたちが一同に集まる『世界子ども会議』が宇都宮で開催されることを知り、ボランティアスタッフとして参加。各国の子どもたちと、心に残る多くの交流があった。
「母は私の好きにさせてくれたのに、これまでの私は母を思いやる気持ちに欠けていました。母が父の話をしてくれるようになったのは、様々な活動を通じて私が相手を思いやることを学んだからだと思います。昨年から今年にかけて、私は大きく変わりました。急増する自死(自殺)遺児の自分史を聞いて、深い傷に悩まされていることも知りました。あしながの活動に携わることは、亡くした自分の親と向き合うことです。いろんな活動に参加しているうちに、本当に自分のしたいことが見えてくるような気がします。いまは多くの出会いと支え合う仲間たちからパワーをもらっています。そして、私を生んでくれた両親にありがとうという気持ちでいっぱいです」と里恵さんは話す。 (国) |