脳卒中などで倒れた後、話す、読む、書く、聞いて理解するなどが、うまくできなくなる人がいる。脳が損傷を受けたために起きる失語症だ。脳卒中患者の約5分の1が、この後遺症に悩むという。
桐谷清さんは、平成8年4月、友人や奥さんと一緒に楽しんでいたゴルフのプレイ中に倒れた。1ヶ月間は、意識はあっても周囲を認識できない状態。右半身不随で、言葉はまったく話せず、呼びかけに答えるだけだった。「赤ん坊と同じで、トイレ、着替え、すべての世話が必要でした。会話が成り立たないので、笑顔もない。でも、入院して1カ月半、初めて体を動かすリハビリに行った主人は、シャキッとして、食事も寝たままではなく、起きて食べるようになりました」と、奥さんの良子さん。けれど、ご主人にその記憶はない。「後で、聞いたから、知ってるんです。私が憶えてるのは、その後。自分で、話をし始めた頃かな」。清さんは、ゆっくり、一語ずつ確かめるように話す。簡単な日常会話はできるが、何かを詳しく説明しようとすると、言葉が出なくなる。右足と右手は不自由なままだ。
失語症の程度は人それぞれだが、共通しているのは、分かっているのに言葉として出てこない、聞いている言葉が理解しきれず記憶できない、ひらがなや数字が読めない、書けないなどだ。言葉を司る脳は左側のため、右半身も不自由になる人が多い。ただ、言葉に関する以外のこと、たとえば道順や、貴重品をしまった場所、毎日の出来事などの記憶や理解、判断力はしっかりしている。入院中、清さんは言葉を間違えてばかりだった。『眼科』を『ゴルフ』、子どもを自分の兄弟の名前で呼ぶなど。それを本人は気づかなかった。「私も不安でしたが、一度家に帰ったとき、『ああ、ここだ、ここだ』と言って喜びました。それで主人はちゃんとしているんだ、と分かったんです」。
清さんは4カ月で退院した。その頃には、簡単な言葉なら言えたし、歩けるようにもなっていた。退院後、良子さんは仕事を始めた。『自分でやってね』と頼んで出かけると、清さんは自分のことは自分でするようになったという。
清さんは毎日、近所の散歩を欠かさない。右足を引きながら、1日2〜3回、1回約1時間歩く。悪天候の日も休まない。週に3日は、運動機能を衰えさせないためと、言語機能の回復のため、千葉労災病院でリハビリを行う。市原市失語症友の会に入会、日帰り旅行、運動会、ゴルフなども参加した。月1回は絵の教室、月3回は保健センター主催『いきいき倶楽部』で、手作り品や音楽を楽しみながら交流もしている。清さんが描いた油絵を含め、患者さんたちの絵は、病院のギャラリーに飾られている。清さんを担当する労災病院の言語聴覚士・安田さんは、「本人や家族が言葉ばかりにとらわれないで、できることを探して社会と関わって欲しいと思っています。話は不自由でも笑顔を絶やさず、すすんで人と交わろうとする桐谷さんには、教えられるものがあります。笑顔が最上のコミュニケーションですね」と話す。
ここ2、3年、本人が言葉の間違いに気づくようになったと、笑いながら話す桐谷さん夫妻は、しょっちゅうケンカをするという。言葉がかみ合わないと、それは違う!と言い合うのだそうだ。良子さんは「治りたい、治してやりたいと二人で夢中でやってきました。でも、計算など、できないことは無理してできなくてもいいな、と思ってるので、今は本当にただのケンカです」。清さんは言う。「楽しいこともたくさんある。みんなで頑張って、リハビリをやっていきましょう」。
(米)