その笑顔とたたずまいは、清らかで温かく、早春の陽を浴びた水仙の花を思わせた。八街駅近くにある老舗旅館の若女将、籠谷勢津子さんの第一印象だ。
籠谷さんは父亡きあと、弱冠24歳で家業を継いだ。
籠谷さんが生まれた年に、本館が新築され旅館からホテルとなった。
一人娘の籠谷さんは、もの心ついた頃から「まわりの人達に、『せっちゃんは跡継ぎだもんね』と言われ、他の子どものように、大きくなったら何になりたいとか考えたこともなかった」と、言う。
「毎日両親の働く姿を見て育ち、曾祖父の代から残してきてくれた家を、きちんと受け継ぎたいとは思っていました」。
高校入学時には将来家業を継ぐことを前提に、ホテルマン養成専門学校を進路に決めていた。卒業後、他のホテルで修行を積むつもりだった。ところが、専門学校に通い始め2年目に父親が入院した。3年前のことだった。検査の結果、肺ガンと告げられた。
父親の指示でホテルで働く母親。籠谷さんは毎日付き添いに病院へ通った。
ホテル業という仕事柄、しかも同じ敷地内に住んでいたため、24時間仕事と切り離せない生活を送っていた父親だけに、「入院していた1年間が一番父とコミュニケーションがとれた時期だった。いろんなことを話し合いました」。
父の死から立ち直る間もなく、大黒柱を失ったホテルの現実に直面し、逃げることも迷う時間もなかった。即、若女将として家業の現場に飛び込んだ。ジーパンとスニーカーの学生生活から、1日中着物姿の『女将見習い』だ。
「父から学びたいことはたくさんありました。それもできないまま、4代目としてお客様に対応しなくてはならないことが不安でした。でも、経験不足など仕方ないことを嘆いていても始まらない。母は、父のやっていた板場(厨房)など裏方にまわりました。私は、フロントや宴会場、客室をあずかる女将として頑張らなきゃと、試行錯誤してきました。従業員の皆に助けられ、昔からのお客様には先代のやり方の良かったところなど教えていただき、若さを未熟とひいてしまうのでなく武器と考え、代々受け継がれてきたものに新しいことを取り入れ、お客様に満足してもらいたいと考えています」。
八街には市営グランドがあり、武道家でもあった父親の人脈で、夏には少年野球チームや学校のスポーツ合宿がホテルを宿舎に利用する。年間通してはビジネス客、主に建設関係の長期滞在客が多い。
「宿泊に関しては、連泊するお客様がほとんどなので、家族的な雰囲気をと心がけています。慣れない土地に長期滞在して仕事をするのは大変なこと。その不安を和らげてさしあげたい。飲食についてはランチや宴会がメインですね」。
父親から受け継いだのは、ホテルという建物だけではない。従業員、お客様、そして人とのつながり。籠谷さんの趣味は剣道。柔道の達人で知られた父親の勧めで、中学生の時に始めた。
今でも父親の知り合いの紹介でと、ホテルを利用するお客様がいることに籠谷さんは感謝の気持ちと喜びを隠せない。だから、いつもお客様の顔を見ると笑顔になる。何か心を悩ませることがあっても、剣道で培った『平常心』を保つようにしている。剣道によって得たものは、姿勢の良さときちんとした挨拶ができること。これは接客において必要不可欠。剣道という世界に導いてくれた父親に感謝している。
籠谷さんの1日は、朝4時半に起きて成田の市場に食材を買い付けに行くことから始まる。帰るとすぐ館内の喫茶店の開店前の仕込みを手伝い、その後は掃除の手伝いや最終点検を。午後4時半のチェックインの時間には、フロントでお客様のお迎え、そして、夕食や宴会での接客。ホテルの戸締まりを済ませ、寝るのはいつも深夜。
かいがいしく働く籠谷さんに、「そんなこと女将がやらずに従業員に頼めばいいじゃないか」というお客さんがいる。でも、「挨拶だけの女将にはなりたくない。お客様のために率先して働くことは私の喜びですから」と答える。
記憶の中の父親は、いつも皆より朝早く起きて、板場で仕込みをしていた。洗い物も自分から進んでやっていた。この父の姿が脳裏に焼き付いているのだ。
以前、お客様に言われた「本当に気持ちの良い笑顔だね」、「また来るね」の言葉に、とても励まされた。
「心底うれしかったです!更に、お客様に『あのホテルには笑顔の素敵な女将がいるよ』と言われる、いつでも『旬』の女性でいたい。私は、贔屓にしてくれるお客様や可愛がってくれる地元の方々、そして従業員の皆さんや友達、縁の下の力持ちをしてくれる母…み〜んなに支えられて女将業、やらせていただいてます。これからは、今も尊敬する父の口癖だった『妥協はするな。その上で後悔しないように考えて行動しなさい』という言葉を胸に、女将として頑張っていきたい」と話す。
(内田)