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ある朝 下 野 幸 雄
新聞を見ながら
妻の手をぬすみ見る
妻の手は荒れて
私よりも節くれだっている
この手を白く美しいままに
守ってやれなかったことは 私の責任だと心のすみにうづくものはあるが
私は
はらりと新聞をめくって
それを無視する 〈今日は良いお天気だね〉
〈また一日草取りしなくちゃ〉
妻の手には
見えないダイヤモンドの指輪が良く似合う。
成東町の旧道沿いに下野家は建っている。もと名主、江戸は元禄時代から続く旧家だ。敷地内には、下野幸雄さん環さんの家と、長男夫婦の家族が住む家、そして、幸雄さんの書庫と蔵がある。季節の花々が広い庭に咲き乱れ、手入れの行き届いた竹林に清々しい風が吹き渡る。
迎えてくれた下野幸雄さんが花壇の横に置かれた道祖神を指さす。
「珍しい姿の男女神なんですよ」。男女の神様が抱き合いひとつの像となった、ユーモラスで素朴な印象の道祖神だ。
「この形の道祖神が欲しくて注文して作ってもらったんです」と、微笑んで話す下野さんは、昨年秋に奥様の環さんとの共著で『古希春秋』を自費出版した。2人が古希(70歳)を迎えた記念にと、幸雄さんが詩を、環さんが散文を寄せた詩文集だ。
平成3年には還暦を記念に、やはり共著『詩文集 還暦』を自費出版した。一番最初の共著が結婚20周年を記念しての詩文集だったので、今回の夫婦共著の出版は3回目という。
20代の頃から詩作を続け同人誌の会員でもあった幸雄さん。アマチュア詩人としては県内でも有名。銀行員として勤める一方で、県内のアマチュア詩人の育成や同人誌の発展に努力を惜しまなかった。
環さんは小学校の教員をしていた。30代の頃から朝、家事の途中で、学校の行き帰りの車中でラジオを聴き、散文の投稿を続けた。採用されると励みになり、日常生活のひとこまを素直な視点で文にまとめ、認められ発表の場があることに喜びを覚えた。
「長いような短いような人生70年。過ぎてしまえば忘れてしまう思いの数々を、詩や散文に書き記すことで記録にとどめられれば。それを、人生の節目ごとに詩文集として本にすることで夫婦2人の記念に」と、幸雄さん。
あくまで家庭や学校などの日常をテーマに綴る環さんと、日常も非日常の世界も描く幸雄さんだが、2人の記念の詩文集では環さんのことをよんだ作品が多い。3冊の共著には、2人のこと、そして息子達や孫達などを題材にした家族愛にあふれたものが大半だ。
物静かでクールな雰囲気を漂わす幸雄さん。でも、その詩の中では環さんを指す『あなた』、『おまえ』、『君』、『僕たち』の言葉が多く見られ、詩人仲間は「氏にとって環さんが、いかに大きな存在であるか容易に頷ける」という。
はつらつとして明るさを振りまく環さんだが、『男(亭主)をたてる』女性と見受けられた。そんな彼女を「幸雄さんの研ぎ過ぎた知性を、ふんわり和らげ豊かに調和されてこられた」と、幸雄さんと親しい友人は評している。
そして、環さんは幸雄さんを家長であり伴侶と思うと同時に、自分にとって「一番身近な師」という。話題になっている本をさりげなく薦めてくれたり、常に向学心を持ち続けている見習いたい部分など、「知らず知らずの間に教育者だった私が、逆に教育を受けているような気がします」
ふだん面と向かっては言いにくいことも、詩や散文だと素直に言葉にして伝えることができるという。また、文字にすることで自分の気持ちが確認できるとも。毎日、顔をつき合わせる家族、夫婦だからこそ共有できる何かがあることで、より深いつながりを持てる。それが下野さん夫妻にとって、共著の詩文集なのだろう。
4年前に銀行勤務35年、ゴルフクラブ15年の勤めを終えた幸雄さん、
「私が仕事を勤め上げることができたのは、戦友たる妻の側面援助のおかげ。嫁であり、母であり、妻であり、教師である一人四役を成し遂げた妻の方が、私よりはるかに大変な戦をしてきたと思っています」
日頃、口数が少なく他人の前で直接環さんを誉めることなど、ほとんどないらしいが、その著書の中で環さんをねぎらい感謝する心を言葉にする。
共に羊年で1月生まれの幸雄さんと、10月生まれの環さん。環さんの誕生日を待って、二人の記念に詩文集を本にすることで家族の足跡を残してきた。
次は77歳のお祝いの喜寿に、また共著で詩文集をまとめるのだろうか。 (内田)
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