NO.24

喜ばれる顔が見たくて…
  趣味を活かしたボランティア人生!


それは、黙って後押ししてくれる
夫人あってこそ
  山谷正助さん(75歳)大多喜町

 「一隅を照らす 比れ即ち国宝なり」。大多喜町でボランティア人生を送る山谷正助さんの座右の銘である。
 天台宗の開祖である最澄のこの言葉は、国の宝というのはお金や財宝でなく、自分自身が置かれた場所(一隅)で精一杯努力し明るく光り輝くことのできる人、という意味。
 一人一人がそれぞれの持ち場で全力を尽くすことによって社会全体が明るくなる、自分のためばかりでなく人類みんなの幸せを求めていこう、ということを説いたものだ。
 山谷さんは、『人間魚雷』としての特攻を1カ月後に控えて終戦を迎えた。焼け野原の東京を見て土木建築関係に進み千葉県道路公社を60歳で定年退職後、「房総半島のまんなかでボランティアをしよう」と大多喜町に移住。
 以来、5歳から始めた絵画、50歳で本格的に取り組んだビデオ撮影という2つの趣味を活かした独自のボランティア活動を精力的に続けている。即ち、福祉施設や病院等をまわり、自ら取材・編集しナレーションやBGMを加えたビデオを上映、手作りのポストカードをプレゼントするというもの。
「旅行に行きたくても体の自由がきかずに行けないのはつらいこと。そんな方たちにビデオで旅行気分を味わっていただきたくて」
 映像はプライベートな旅行が中心だが、老人福祉センターがあやめ祭見物等小旅行を企画する際には同行を依頼されることもあり、「その際撮ったビデオを後日上映したところ、参加した人、参加できなかった人、みなさんに大変喜んでいただきました」
 一方、手作りカードは、1枚として同じ図柄はないという絵のみならず、「生きることの素晴らしさ」をテーマに励ましの言葉をつづったものを加えている。
 「病気になると気が小さくなったり、さみしくなったりするから。私のビデオやカードに感動して『これでいつ死んでもいい』と言われることもあって…。人として生きてきたからには、多くの人と関わり合い気持ちを通じ合い喜んだ顔を見たい。『喜ばれることに対する感激』が私を動かしています」
 そういう山谷さんは、60歳で急性気管支喘息に罹り「初めての病気らしい病気に、そのつらさを実感」、さらに一昨年4月には腎臓癌の摘出手術、といった経験をしている。
 「50歳の時、『目標がなければ人生つまらない』と、定年になったら死ぬまでボランティアしようと決意したわけですが…。病気を乗り越え、今日まで続けてこられました。そして、それもこれも、黙って後押ししてくれるお母さんがいるからでしょうね」
 姉さん女房のシナ夫人(77歳)を山谷さんは「まさに金のわらじ。煩いことは何も言わず、至れり尽くせりでよく働いてくれます。私は人間は毎日の3食が大事だと思ってるんだけど、決して贅沢ではなく、それでいて美味しい合理的な料理を作ってくれるしね」。だから、山谷さんはお風呂好きのシナ夫人のために頻繁に温泉宿を訪れる。手術前には国内外含め毎年12回は行っていたという取材旅行も、もちろん夫婦ふたりでだ。
 朝4時に起きてコツコツ描いてきた手作りカードはこれまでにその数4万6000枚。延暦寺に願をかけた5万枚達成も夢ではなくなった。ビデオも、公開試写会150回の目標に対し138回とあとわずか。「今はマラソンでいえば42キロ走ったところ、ゴールはすぐそこ。せっかく目標たてて頑張ってきたんだから無理はしない」という山谷さんに、シナ夫人は「もう少しだから、がんばってくださいね」と優しく語りかける。
 「これから、寺子屋式に子供たちに字や絵を教えたいな」と山谷さんの夢はつきない。
「ただ私も歳だし、万が一お母さんがひとりになった時のことを考えて、引っ越すことにしました。お母さんの生まれ故郷の御宿。暖かいし、友達もいっぱいいるから。人間はさみしくなるのが一番いけない。お母さんにはつらい思いをさせたくない、たくさん感謝しているから」。
 「一隅を照らす」山谷さんを照らすシナ夫人。最澄の言葉によれば国の宝であるところの山谷さんは、傍らのシナ夫人を「私の宝です」と笑った。  (富川)




  

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