人の声を聞いて 暮らすありがたさ 年老いても、より自分らしく生きるための選択はさまざま。共同生活を通じ、支えあいながら人生を楽しむグループハウスの暮らし方を提案する人がいる。 「だれでも独りになりたいと思うことがある。だけど、明日もあさっても、ずっと死ぬまで独りは寂しいね。独りでポツンと食べるごはんはむなしいけれど、皆と一緒に食べればそれだけでうまいよ」。すぐそこは大多喜。市原市米原に住む鎌田さんは自宅を新築する時、仲間で一緒に暮らせるよう、個室5つと共有スペースを考慮した間取りに設計した。
大学卒業後、教員となった。転職して就いた魚の卸業の稼ぎはびっくりするほど良かった。しかし周囲はおもしろおかしく景気良く遊ぶ話ばかり。「金をつかんでしまうと自分が見えなくなる。果たしてこのままで良いのだろうか」と自問自答した。「これまで大した病気やケガもなく過ごせたことだけで十分。残りの人生はおまけ」と考えた。再就職先は希望したわけではなかったが福祉の世界へ。最初は児童相談所、次ぎは盲老人ホーム、そして盲の知的障害者施設へ。いま重度の知的障害者の施設で働く。現場での心の交流は自身が癒されることも多い。しかしそれとは逆に「死ぬまでに一度、上野で食事がしたい」という、生い先短い入所者のささやかな願いも「事故があった時はだれが責任をとるのか」の一言でかなえられない現実があった。何とかしてあげたいと思いながらも、何もしてあげられないもどかしさが悔しかった。
山岳ガイドの資格を持つ山好きの鎌田さんは、山の案内をすることが多い。昨年、72歳になる市内に住む老人から「一生に一度でいいから富士山に登りたい」と頼まれた。聞けば、これまでの山登りの体験は無いに等しかった。少々無謀だとは思ったが、年齢的にも最後のチャンス。本人の希望をかなえてあげたいと、一緒に登ることにした。7月末とはいえ、標高 3700メートルは酸素も薄いし、気温も低い。若い人でも体力を消耗する。おまけにガスが出て天候は悪かった。しかし農作業で鍛えた体は、思ったより体力があった。はやる気持ちをおさえて8合目の小屋で一泊。翌朝は晴天。ご来光に間に合うよう、4時に出発した。シーズンまっさかりの登山道には人があふれ、頂上に着いた時はすでに明るくなっていたが「思い残すことはない」とつぶやく老人の目には涙が浮かんでいた。「目に砂が入った」と弁解していたが、本当に来てよかったと思った瞬間だった。
鎌田さんが目指すのは、本人が望む暮らし。同じ屋根の下に住んでも、あくまでも個人の自由は尊重するライフスタイル。多くの施設にみられるように、時間を気にしながら食べるお仕着せの食事ではなく、食べたいものが食べたいときに食べられる環境だ。いま、グループハウスは全国に増えつつある。残りの人生をしっかり見つめて生活できる環境と、社会とのつながりの中で自立した生活を目指す。
病気の時は支えあい、したいことがあれば話し合ってみんなで実現に向けて協力しあう。隣家のご夫婦が寮母役を引き受けてくれた。応募者が多い場合は近所の友人の家も提供してくれる約束になっている。「食費、光熱費、部屋代などの生活費はそれぞれが負担します。金銭的には他人に迷惑をかけないシステムです。
生まれも育ちも違う他人同士の集まりは大変かもしれない。「福祉も介護の手も差しのべられないところは自分たちでやるしかありません。受入れてあげる気持ちを大事にしていきたい。モノ言わぬ人たちにどこまで光があてられるかです。弱者は助け合ってね」。阪神淡路大震災の時も職場へは好きな山へ行くと言って、テント、食料、水をザックに入れて自分の足を頼りに何かできると信じて出かけた。那須の水害の時は泥まみれになってクタクタになるまで働いた。ホームレスで保護された人が身元引受人として自分の名前を指定してきた時は保証人になってアパートを借りた。何事も他人事とは思えない。見て見ぬふりができない性分だ。
「ふるさと秋田の冬は厳しいけど、房総はあったかでいい。元気なうちはしっかり働いて、畑で野菜を作って、好きな山に登って…」。他人でも家族でも、ひとつ屋根の下で一緒に暮らす意味とは。人の顔を見て、人の声を聞いて暮らすことの大切さ、ありがたさを大事にしたいと鎌田さんは話す。 ※写真/鎌田政朋さん(52)