何を支えとすればいいか分からないまま、自分の生き方、アイデンティティを築けず、心を病んでしまった人が増えている。「今の人は、内科に通うように精神科に来る。気のふれた人間の行くところ、という昔あった偏見もなくなった」と、今でも保健所で精神科医として相談員を勤める太田さん。現代は人間の価値観、文化の枠組みが大混乱している時代だという。日本では昭和20年の敗戦がきっかけだった。「今の人たちの価値観は様々。周囲の人たちや社会、自分と全体をうまく合わせられないので、みんなギクシャクしている。その中のひとつを選択し、無理に自分を整った形に押し込めゆうとすると、爆発したり壊れたりする可能性があるのです。人間は矛盾ばかり抱えた不合理性の生き物です。生涯をかけて自分を愛しみ、育てていくのが人生。価値観の混乱も長い時間をかけて融合させていくものです。それが21世紀でしょう」。
太田さんは中学2年生の時、母親を心臓病で亡くした。物心ついたときから病がちだった母は、太田さんにとっていつ失われてしまうか分からない存在だった。そのためか、生きるというのはどういうことだろう、と考えるようになった。家にいない父親を恨んでひねくれたこともあったという。「よく爆発しなかったな、と思います。医者の道に進んだのも、親戚から医者になったらどうかと言われたからですね。インターン制度で内科、外科などを回りましたが、どこもしっくりこなかった。ところが、患者が社会から取り残され、閉じ込められている精神科で心が動いた。自分が鬱屈していた子どものころと同じものを感じとった。子どものころから自分の中にわだかまり続けるものが何か、見つけたいということもあったのでしょう」。
昭和40年代、ある精神保健センターで家族に引き取られない分裂病の三兄弟に出会った。医者からも厄介がられた彼らを、太田さんは自ら引き取る。「若気のいたりですかね(笑)。分裂病や躁鬱(そううつ)病を発病するのは、緊張状態が持続し、心に柔軟さがなくなって耐えきれなくなったためですから、精神病患者は社会から隔離されるべきという考え方に反発がありました。同じ人間なのに、という思いが強かったんですね」。
患者は普段から、落ち込んだり絶望感に襲われる苦しみや、周囲に理解されない苛立ちを持っているので、何かをきっかけに落ち込むとそれを怒り・憎しみに転化してくるという。これに耐えきれず、患者の世話をやめてしまうケースも出、患者と社会のつながりを断ってしまう原因のひとつとなる。「仕事では通ってくる患者から、家では引き取った兄弟から、そうした感情をぶつけられるのが日常茶飯事でした。しかし、これを越えないと患者とのいい関係は築けない。信頼ある人間関係の築き方は、変わらない態度で接することから理解してくれます。それが患者の自信になり、落ち着きが出てくるんです。私個人的には、精神病患者の世話は善意や好意だけに頼るだけではなく、社会復帰のために公的な施設設備を充実させることが必要だと思います」。
今、30年間世話をした三兄弟のうちふたりは亡くなり、残ったひとりは隣県で生活している。容易ではなかったですねえ、と太田さんは明るく言う。「精神科医になったのも、生き下手だった自分をどうにかしたかったから。患者と心の問題を考えてきたことが、私には大切なことだった。患者と一緒に、自分のなかの鬱屈も小さくしてこられた。ありがたい、というのは有り得難い、なかなか得られないもの、という意味です。精神科医になったから私は鍛えられ、様々なことを経験できましたね」。それでも心の問題は解決していませんから、終生勉強ですよ、と太田さんは締めくくった。 (米)