NO.6

世紀を超えて伝えたい、生命の尊さを

  20世紀最大の不幸な出来事・戦争。その悲惨な体験を九十九里町の有志が『語り部がつづる郷土の戦時物語』として、一冊の本にまとめた。

 刊行まで編纂の中心となり取り組んだのが、同町片貝の古川幸男さん(70)。 古川さんは、戦争末期の17才の時、片貝にある民間防空監視哨の班員だった。双眼鏡で九十九里上空から来る敵機を監視し、軍に報告する役目だった。
 「昭和20年2月16日の早朝の出来事、横芝上空辺りで黒い煙を吐き、赤トンボ(複葉で赤トンボに似ていたことから初期練習機の仇名)が墜落している。大型双眼鏡を覗くと米軍艦載機グラマンF6Fの初来襲。赤トンボが体当たり攻撃をしていたのだ。警報は未だ発せられて無い。
あわてふためき監視隊本部に報告する。数秒後まもなく上空に数知れずの米軍機の波状攻撃。茂原飛行場から零式戦闘機の攻撃が始まり、片貝上空随所で空中戦が展開された。監査哨からも米軍パイロットの顔が肉眼で見えるくらい接近した。至近距離からのヒューンという機銃弾の風を切る音が耳をかすめた」。

 戦後50年経った5年前、古川さんは「赤トンボの勇気」として本を出した。 「それで自分の心にけじめがついたと思ったのです。ところが、その後も一時たりとも、あの時の様子が頭から離れないのです。戦争を経験した人は、その悲惨な体験は一生忘れることはないと思いますよ」。

 そんな思いから、「新世紀を迎える今が伝えることのできる最後の時」と、町ゆかりの人から寄稿を募集。75人が体験を寄せ、今年2月に集大成された。 「外地や内地の戦場で戦った人がどんなに苦労したか、実際の事を知らない。また銃後で郷土が戦場になっていたことは、戦争に行っていた人は知らないわけです。戦争のまっただ中にいた人たちが、その真実を記録に残し、後世に伝える事にこの本の意義があると思いますよ」と古川さんは、本を作るきっかけを話してくれた。 本を手に取ってみた。古川さんが撮った九十九里沖の大海原に群れるカモメの写真が表紙を飾る。読み進むうちにあまりにも生々しい惨状の文に目が釘付けになった。日本軍の敗戦色が濃くなった昭和19年6月、サイパンに米軍が上陸した時のことを記している。 「海岸が何百という戦車や艦載機で覆われた。海岸線の風景が変わるほどの総攻撃。戦死者が多数でた。水を求めるうめき声が聞こえる。食糧も銃も底をついた。北端の洞窟に追いつめられた。玉砕の命令が下る。バンザイ!と悲痛な叫びをあげ、数え切れないほどの母親が子供を抱いて、崖から海へ飛び込んだ。夢遊病のようにジャングルをさまよい歩く。窪地に戦友の屍が重なりあっていた。爆弾が破裂し、記憶が途切れた」。九十九里出身の海軍飛行兵の体験談である。その人は15年前から毎年現地へ行き、戦友に線香をたむけるという。 それぞれの胸の奥に閉じこめた思いや体験をまとめた本は、話題になり、発売一週間で1500冊も売れた。

 古川さんは、しみじみと語る。「私が本にまとめようと思ったのは、決して思い出じゃないの。私の体に焼き付いたこだわり。みなさん、きっと同じだと思いますよ。21世紀も20世紀からつながっているのですから、戦争の愚かさも、しっかりと伝えていかないと。家庭の蔵書として、子、孫にも引き続き読んでほしい。この本をきっかけに、生命の大切さ、生きるということについて考えてほしいですね」。 古川さんは、ライフワークとして、30年来九十九里洋上の太陽とイワシ漁船をテーマに写真を撮り続けている。毎朝日の出を撮りに海へ行く。平和な光景だと思う。 「もう少し戦争が長引けば、九十九里浜から敵が上陸して、サイパンのようになっていたかもしれない。この美しい海岸線が無傷で残って本当によかったと思う」。郷土九十九里をこよなく愛する古川さんならではの思いだ。 毎年古川さんの元に、久里浜にある自衛隊基地の通信学校の生徒が戦争体験を聞きにくる。生の話が聞けてよかった、と言ってくれるそうだ。平和への思いは世紀を超えて伝わっていく。  

(H)問い合わせ・古川さん0475-76-2800
写真説明 平和について話す古川幸夫さん(70)

 



(C)City Life