NO.7

伝統の中に生かされていることに
喜びを感じる

 昭和20年代まで長生地区の3月の節句には、お雛様として飾られた芝原人形。人形の中に粘土玉が入っており、振るとカラコロと音がすることから、地元の人に「石っころ雛」とも呼ばれた。
 芝原人形は、江戸末期から明治の初め頃に長南町芝原の田中家が代々、作り続けた。3代目亡き後、4代目を継承したのは、千葉惣次さん。
「僕が幼い頃、祖母が芝原人形を飾っていたんですよ。高校に入った時、その芝原人形を今も作っている人が近くに住んでいると聞き、何だか懐かしさを感じ、会いにいったんです。年配の客ばかりのところへ、高校生なんて珍しかったんでしょうね。敷居を高く感じていたのに、快く招き入れてくれた。素朴な人形にも魅かれたが、僕が驚いたのは田中さんを訪ねてくる人達。だって、僕の回りで70歳を過ぎて、遠方からいろんな客が訪ねてくる人なんていなかった。こういう仕事もあるんだな〜と思った。いわゆる趣味家という人形収集家の人達なんですが、彼等のような大人に会える楽しみもあって、僕は毎月自転車を走らせ、茂原の自宅から芝原に通いました」
 こづかいを貯め、行くたびに芝原人形を買い求めたという。
「芝原人形をある程度集めると、今度は全国の伝統的な郷土人形をと訪ね歩きました。そのうちに、人形作りのような一生できる仕事をしたいと考えるようになりました。でも、親子代々で受け継がれるこの世界。では、人形が無理なら同じ土で作る焼き物をと、岐阜へ美濃焼きを覚えに10年ほど行っていました」
 長南町に戻った千葉さんを待っていたのは、県の無形文化財に指定された芝原人形4代目継承の話だった。3代目の人形作りの姿を見、芝原人形についてもよく知っている。そして、焼き物の経験も積んだ。そんな千葉さんに後継者のいない郷土人形製作の担い手になってほしいと打診がきたのだ。千葉さんの作る人形を見た田中さんの遺族の了承も得て、芝原人形4代目となった。
「150種類はある芝原人形。中でも人気があるのは、干支と招き猫などの縁起物。人形の特徴は、粘土玉が入っていることと、目の回りにくま取りが入っていること。人形作りにおいては、とにかく現代風を入れないように心がけています。明治という時代の雰囲気と、この人形ならではの田舎くささを残そうと思っています。自分の個性を入れず、伝統の形そのままに作るので、もの足りない気持ちもありますが、その一方で心が安らぎます。ちょうど母の懐に抱かれているというか、伝統の中に自分が生かされているという気持ちになるのです」
 昭和30年を過ぎて、大量生産の京人形をコピーした現在のお雛様が出回るようになると、芝原人形も他の郷土人形同様、一般家庭でお雛様として飾られることもなくなり、買い手は都会の収集家へと変わっていった。
「最盛期には国内に300人位いた人形製作者も、今は10数人しかいない。おそらく僕が最年少では。それほど人形は忘れられた存在。産業に結びつかない文化だから、後継者もいない。でも、人形は古来から日本人の節句や祭りなどの年中行事や、人形供養にみられる神と密接に関わってきた。それを今の日本人は否定してしまった。精神的なものを否定することは、利益につながるなら何をしてもいいという現代の思想にいき着く。だから、日本の伝統的な文化を大切にすることが、結果的に荒廃した日本人の心を救うことになると思うのです」
 現状を悲嘆しているだけでは始まらない。千葉さんは人形製作の傍ら、彼のライフワークともいえる日本の人形の調査や研究も続けている。その成果は、文献として専門誌に発表したり、展示会の開催や写真集、ビデオ製作…と、形にして世に送り出している。
「自分が出会えた伝統文化の一端である人形を通して、いま日本人が忘れがちな伝統文化の大切さを問題提起したい」
 と、語る千葉さん。どんな思いが彼を突き動かしてきたのだろうか。
「効率こそが全ての価値基準という経済優先の、今の世の中は人間性を崩壊させる。子どもがキレるのも、その一例でしょう。伝統文化を守るということは、日本人の心を守るということ。人間は生を受けた時、自分だけができる役割を与えられるのだと思う。それが僕の場合、人形作りだった。日本の人形文化は、世界の中でも長く独自な歴史を持っている。こんな貴重な世界を、是非後世に伝え残していきたい」         (内)

写真説明
茂原人形四代 千葉 惣次さん

 



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