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助け合って親しみ合って継ぎ合う

 小湊線の高滝駅を降りて、下り車線側に少し歩くと丸久子さんの家がある。湖をわたる風、のどかな田園風景。緑の中に集落が点在する養老地区。「地域社会が崩壊してきた」と言われて久しいが、ここでは今も折りにふれては近所の人達が集う。

 久子さんは農家の次女に生まれた。「父は農業が大好きで、良い作物を作るのにとても研究熱心でした」。しかし支那事変で骨髄に被弾。しばらく松葉杖を使って生活していたが、やがて歩けなくなった。
「仕事を失った父は、近所の人達との交流を生き甲斐にしました。ベッドの上で、字が読めない人に代わって手紙を読んであげたり、返事を代筆したり。たくさんの縁談もまとめました。母は動けない父に代わり、お使いに駆け回っていたけど、h僕の意向を上手に伝えてくれるiと母をほめていましたね」。 そんな父親の口癖は「周りの人を大事にしなさい」だった。
 結婚のために牛久から養老にやってきた。嫁ぎ先はやはり農家。「実家が貧乏で、いつもボロを着ていたから、百姓にだけはヨメにいきたくない、と思っていたのに」と笑う。

 この地域には、いくつか風習が残っていて、久子さんが最初に出会ったのは『子安講』だった。これは若い婦人達が一軒の家に集まり、元気な子どもに恵まれるように、子安観音の掛け軸にご馳走を供えて拝むというもの。年に数回行われ、会場は輪番制。当番の家では昼食用の料理を受け持つが、一人では大変なので両隣りが手伝う。また結婚後、初めて参加する人の場合、仲人が当番の家まで案内し「○○(屋号)のヨメ・誰々でございます。よろしくお願いします」と紹介をする。
「早く周囲にとけ込めるし、友達もできます。お姑さんに聞きにくいことでも、同世代の人だったら話しやすいでしょ。何よりおヨメさんの息抜きになっているんです」と話す。

 その他この地域では、冠婚葬祭などで人手が必要な時に、助けてくれる心強い存在『組合』もあれば、春秋のお彼岸に皆が集まってご先祖の供養をする『念仏』もある。念仏では赤飯や寿司、自分の畑でとれた野菜の漬け物・煮物などを持ち寄り、それらを囲んで会話が盛り上がり、なごやかな時間を過ごす。久子さんはこうした地域に伝わるさまざまな風習や行事に出席してきた。

 新婚時代が過ぎて、2人の母となり、この地に根を張っていつしか47年がたった 今も久子さんは米作りに熱心である。品質の研究のために東京まで出かけて行く。「肥料はこれでいいのか、薬の量は?甘みは?実の入りはどうか。お米について一生懸命に考えている自分は、在りし日の父そのままです」。そしてまた、近所の人達と触れあうことが好きだった父親の姿を、現在の自分に重ね合わせてみる。
 数年前、新たに『中年講』ができた。子安講を卒業した人のために、住民自らが作り出した交流の場だ。さらにその上に『老人クラブ』もある。「農家は仕事が多くて、外に出ることが少ないので、このような機会を楽しみにしている人が多い」という。久子さんは長男が結婚すると子安講を出て『中年講』に移った。そこでは「最近植えた野菜の種類や、料理の話に花が咲きます。あとは主人達の悪口ね(笑)」。しかし最近、話す内容が違ってきた。
「これまで主人が何をしてくれても、当たり前だと思っていたの。向こうだって10時と3時にお茶を入れに行くとhこの忙しい時に茶なんか飲んでられない!iと素っ気なかったし。でもこの頃、hおじいさん、今日は暑かったでしょう。畑の手入れアリガトウねiと言うようにしたの。そしたらネ、このごろ相手もチョット変わってきた。気を使ってくれるようになったのよ」。
 さっそく中年講でそんな話をしてみる。相手の良いところを一つでも多く見つけること、大事に思う気持ちを口に出すこと。体験を通しての発見や感想は、他の人にも思い当たるふしがあり、共感を得ることが多い。

 親睦、情報や知恵の交換、イザという時の助け合い、先祖の供養、時には欠席者の安否を気づかったりcといろんな要素を含んだ『組合』『子安講』『中年講』『念仏』などの存在。時代とともに内容や目的は少しずつ変化し、お世話する人の負担を軽くするために合理化もされてきた。しかし、わずらわしいようにも思える風習が、今も消えずに継承されているのは、地域の中で人を信頼し、人とつながって生きていく意義を、住んでいる人達が、一番よく知っているからだろう。     (不)

写真説明
丸 久子さん(右)69才  左は、詩吟仲間の鎌田さん
「鎌田さんは風習とか昔の遊びなんか、よく知っている地元生まれの大先輩です。何でも聞いてみてください」と丸さんが紹介すれば、鎌田さんの方も「丸さんはとても料理が上手!」とほめる。近所に住む良き仲間である。

 



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