緑を背に建つ茅葺屋根の民家。今では、ほとんど見ることのできなくなった日本の懐かしい風景となってしまった。
東金に住む道塚元嘉さんは、房総を中心に各地の民家(明治時代以前に建てられた農家や漁師の家など庶民の住宅)を採集(取材・記録)している。その文章は、新聞に掲載されたり本となり出版もされてきた。
「改築されても残ればいい方で、今の生活様式に合わないと、取り壊されてゆくのが民家の現状。建物は時代の生き証人。その時代の精神や生活、科学や技術等すべての情報を蓄えている。中でも私が民家に惹かれたのは、祈りのある暮らしが営々と続き、培われた生活の知恵と工夫を凝らした暮らしの結晶だと思うからです」
東金市・千葉市の行政の現場において、建築指導の仕事をする傍ら、休日を費やし40年かけて採集した民家の数は数百軒にのぼる。代々、宮大工の家系で「子供の頃から親父の大工姿を見て育った」という道塚さん。建築士の道を選んだのも「我が家の歴史が私の血となって生き続けてきた」自然の成り行きだったと話す。民家研究を始めたきっかけは、飛騨白川郷の合掌造りを見て。
「でも、私の心の中の原風景には、築百年近い生家と母の実家とがある。ひとがつどい働く場であり、自然の中での暮らしが実感できるのが民家。その機能美の最たるものとして、合掌造りには強烈な印象を受けた。気候や風土により民家の形は異なるが、中で営まれる暮らしは変わらない」
野帳(フィールドノート)と、カメラ、ペンを携え民家を訪ね歩いた。採集にあたっては、紹介もあれば取り壊しを聞き駆けつけたこともある。家の主から話しを聞き、平面図(見取図)をスケッチする。沈黙している黒光りした柱に触れ、カマドや梁、囲炉裏などに語りかけ、そのささやきに耳をすます。
「私たちの周囲には何百年も生き続けている樹木がある。ひとの世の移り変わりを静かに見てきた大木が、言葉をもたないはずはない。建築の部材に姿を変えてしまっても、それは同じ。家の内部に入り採集しているうちに、木の言葉をはっきりと聞いたような気がします」
建築物を保存するには莫大な費用がかかるが、採集し資料とすることで、形として数は残せる。また、採集の結果、市民の関心を集め、保存されたこともある。
「紹介することで、関心をもってくれ、貴重な民家を再認識してもらえたら…」
道塚さんの著書からは、日本人の在りし日の暮らしが伝わってくる。
「懐古趣味と言うひともいるが、そうではなく民家の暮らしの良さを今の生活に生かしたい。たとえば、昔のお年寄りは元気で丈夫だった。健康的な暮らしを送っていたから。段差がある家に、腹に力を入れて開ける重い板戸、井戸から汲み上げる水…。今は指先でサッシは開けられ、蛇口を開けば水が出る。生活は便利になったが、お年寄りは早くに弱ってしまう。また、精神面でも受け継ぎたい点がある。日本独自の開放的な家の中で三世代のみならず、たくさんのひとが暮らすための決まり事も生まれ、他人に対する遠慮や譲り合いの心となり、日本人の美意識にまで高まった。そして、何よりも民家には祈りがあった。朝起きて太陽の神様に感謝し、ごはんと水をあげる。台所の神様・荒神様・井戸神様などを祀ることは、神棚や仏壇を守るのと同様に、大切なつとめとされてきた。民家の各部屋にこうした信仰心との関わり合いが色濃く息づき、そこから毎日の暮らしが始まっていた。民家で神様のいない空間を見つける方が難しかったのです。神々との同居が民家らしさともいえる。祈りがあった暮らしは明治・大正まで。昭和に入ってから、暮らしの中で息づく感謝の祈りはなくなってしまった」
声高に保存をと気負うつもりはない。ただ、もう一度、民家のもつ良さを考え直すべきだと、時代の流れに呑まれて消えつつある民家の「発掘作業」に地道に取り組んでいる。民家についての本を著わす一方で、老人大学やカルチャーセンター等の講演会で、その魅力を語り聞かせている。
民家は、そこに暮らしてきた何代ものひとの命を見守ってきた。
「心は目に見えないが、心が形あるものをつくり、形がひとの心を伝えてきた。だから、時の流れと共に滅んでゆく民家だが、新しい時代になっても失わないでほしい日本人としての心は、残しておかなければならないと思う」
これからもずっと、民家と向き合い対話を続けたいと、道塚さんは願う。(内)