手間暇かけて作り育てることがないがしろにされる世の中の流れ…。そんな中、一針一針に心を込めて刺す日本刺繍の道に、人生をかけた人がいる。日本刺繍を代表する紅会の会長、斎藤信作さん。着物や帯に見られる優美で繊細な日本刺繍は、1600年の歴史を持つ伝統工芸。東金市郊外にある紅会の本部に斎藤さんをお訪ねした。
竹林や畑がある自然の景観をそのまま残した広大な敷地。その一角に工房や展示室がある。ここは紅会の創始者である先代・斎藤磬さんが、自然の中で刺繍を伝承する場を、と35年ほど前に購入したもの。工房では3人の男性と3人の女性が帯に刺繍をほどこしていた。物音一つしない工房の中で両手を器用に使い絹糸を重ねるように一針一針刺す。そのやさしい色合いや優美さ、格調の高さに思わず見入ってしまう。
信作さんが、刺繍の道に入ったのは大学受験を目指していた19才の時。母親が交通事故で頭を強く打ち、一年間は寝ていた方がいいとの診断がくだる。その時大学に行くのは10年後でもできる、と両親の仕事を手伝うことを決心した。それから父の下で修業を始めた。先代と共に取り組んだという大作の屏風を見せていただく。いくつもの扇模様の中に季節の花などが見事な刺繍でほどこしてある。「これを男性3人で制作中に、私たちの配慮が足りず、父にハサミを入れられてしまったのです。もうやらなくていいという父に、もう一度やらせてください、とお願いに行きました。3日後にやっと許しがでて作り始めました。仕上がりが全然違うのです。できるできないの次元ではなく、それを超えて初めて心のこもったものになる。後年、よく父は『手は精神の出口』といっていました。技術だけではだめ。心が反映されてはじめて美が追求できると。それを実体験を通して教えてくれたのです」。
会では、プロを目指す若者を育てると同時に、日本刺繍を文化として定着させようと、門戸を開くことに力を注いできた。プロの持っている理論と技術をすべて公開する講座を開いて20年以上になる。現在講座の会員は全国で500名。東金の本部をはじめ、東京、大阪、名古屋に支部を持つ。アメリカへの伝承は20年前から。今ではアトランタに日本刺繍センターを開設するまでになった。「海外に出てみると逆に伝統の良さが見えてきました。一針に心を込めて仕上げていく喜びと、美しいものに対する憧れは普遍的なもの。日本でも新しい時代作りのために日本刺繍を役立てることができないだろうか、そう考えるようになりました」。
年に一回は、全国でかがりはずし展を開く。これは刺繍台のかがりをはずしたばかりの新作を発表、販売する場。今年は東金ではすでに終わってしまったが、東京で10月の末に開かれる。 また紅会は、未来を担う子供たちにも刺繍を通じて何か伝えたいという思いがある。そのために子供たち向けの体験講座を開いた。「今の子供たちは何か足りない。敷かれたレールの上を歩かされている気がしてなりません。内にはたくさんの可能性がひめられているはずです」と斎藤さんは純真な眼差しを投げかける。
斎藤さんが刺繍の道に入ってから30年以上過ぎた。その人柄と刺繍を愛する純真な心が人の気持ち惹きつけるのだろう。刺繍を通じて多くの人の心を満たしてきた。
「経済的に豊かな生活を求めることは、戦後50年必要なことでした。でもそれが本当に幸せなことでしょうか?これからは、心が大切に扱われる時代がきっと来ます。単に美しいものを作るのではなく、刺繍をすることによって、人間的に成長が促せる手助けができたらと思うのです」。さらにつけ加える。「今私たちがこうして日本刺繍ができるのは、1600年もの流れの中で途絶えることなくそれぞれの時代の人が刺繍を愛し、繋げてきてくれたから。この自然の中で制作に没頭できるのも、父が自然あふれるこの土地を残してくれたから。感謝以外のなにものでもありません。これからは刺繍がより多くの人に受け入れられるようにすべてを分かち合い、この場を地域の人たちや子供たち、外国から刺繍を習いに来る人たちなどに提供したいと思っています。来年の3月には日本の伝統文化の心を知りたいと、世界各国からここに刺繍を学びに来ます。刺繍を通じて日本と世界の文化交流になれば、と願っています。またこちらに制作を依頼してくださるお客様に対しても、まごころこめて満足いただけるものを提供したい。それが刺繍全体を押し上げることになるのでは考えています」。
今後も人との出会いを大切にし、手仕事の心を伝えたい、と目を輝かせて語ってくれた斎藤さん。新たな時代に向けて、大切な智恵をたくさんいただいたような気がする。(H)