7月22日12時半。白丁(はくちょう)と白足袋に身を包んだ若衆が、御神酒と真清水で身を清め、椎津八坂神社の階段を勢いよく駆けあがる。「オリャ、オリャ」のかけ声とともに、夏の大祭神輿渡御(みこしとぎょ)が始まった。県内有数の重さという御輿は、昔漁師町だった椎津の誇り。鳥居より大きな神輿の宮出しと宮入りは、祭りの見せ場でもある。
神輿を担ぐのは椎津青年会の面々。椎津の伝統文化を守り、椎津の心意気を伝えようと、30年前に設立された。「当時、浜は埋め立てられ、漁師町だった椎津の住民は大方がサラリーマンとなっていました。神社の大祭も神輿の担ぎ手がいなくて消防団が車に神輿を乗せて、町内をまわるといった具合でした。そこで、先輩たちが心をひとつにして皆で神輿を担ごうじゃないかという声があがったと聞いています」と話すのは、会長の古川満烽ウん。以来、神輿担ぎは青年会の担当となった。設立当時は100名いた会員も、今は30名足らずに。若い人の地域行事への参加意識が薄れる中、1トンはあろうかという神輿の担ぎ手を確保するのに、毎年苦労する。声はかけるものの、22日と定められた今年の祭は平日にあたる。どれだけ集まってくれるか、当日にならないと分からないという。
「椎津八坂神社夏の大祭は、夏の疫病除けを祈願したお祭りです。神輿に本殿から御神体を移すという特色ある全国的にも希な祭りです。担ぎ手の衣装もはっぴではなく白一色、烏帽子を付ける人もいる神聖な神事です。浜があった昔は、船の上に神輿をあげる御船の神事が行われていた時代もあったようです。時代の流れと共に形は変わりましたが、今も椎津7町会がそれぞれ祭壇を設け、神輿は半日かけて町内を練り歩きます。各お旅所(休憩所)では、担ぎ手の労をねぎらう等、あらゆる点でまだまだ古式にのっとった伝統的なお祭りとして続けられています」と、八坂神社宮司の小笠原源之さん蛯ヘ説明する。数こそ減ったが、祭り当日は境内に露店が並び、にぎやかなお囃子と共にひょっとこ踊りや子ども神輿も繰り出す。
青年会のメンバーたちは幼い時から境内を遊び場として育ち、人生の節目には神社にお参りして来た。地域住民にとって、神社は暮らしの一部。「ひとつの目的に向かって皆が一致団結するお祭りは、椎津の誇りであり、活性化の良いチャンスです」という。青年会のOB『友志会』も青年会を支援する。「これだけ重い神輿を担ぐには、皆の意気とバランスが大事。少ない人数で伝統行事を後世に継承していくには、大変な苦労があります。椎津の誇りを担いでいると思って、頑張って欲しい」とは、友志会のメンバーでもあり氏子総代長の田丸公夫さん。羽織り袴姿で神輿を先導する。
夕方6時。宮入りしようとする神輿とあおる友志会の攻防で祭りは最高潮を迎える。若い汗が飛び散り、オリャ、オリャのかけ声も一段と力強くなる。エネルギッシュな興奮は、ギャラリーにも伝わってくる。30分後、神輿は無事宮入りし、宮司によって御神体は本殿へ戻された。神事を静かに見守る担ぎ手の肩は、赤く腫れ上がっていた。翌日の出勤を考えると辛いが「神輿を担ぐことで、僕たちが子ども心に楽しみにしていた祭りの心を次世代につないでいけたらうれしい」と、先輩からの教えを受け、子どもたちを指導する青年会のメンバーたち。地域がひとつになる祭りは、希薄になったコミュニティを取り戻す良い機会となる。 (国)