全国的に商店街の衰退はみられるが、大多喜町の旧道沿いの商店街も例外ではない。バイパスが国道となり、旧道が県道になって以来、客足は遠のいた。そこで、商店主達を中心に「まちづくりは、ひとづくり」と、平成3年『人材育成研究会』を発足。数年間の勉強会や話し合いを重ねた後、会を発展的解消し『街づくり検討会』を立ち上げた。
今でも大多喜城の城下町として栄えた面影を偲ばせるたたずまいは、旧道沿いの随所に感じることができる。この地域だけでも町指定の歴史的建築物は49戸、国の重要文化財や登録文化財も3戸ある。
そこで、大多喜町役場と商店主達が、現状打開策として城下町風の街並みを復元し、歴史と文化に触れ合え住民も訪れる人も居心地の良い空間をつくろうと動き出した。
そして大多喜町が『街なみ整備基本計画』を作成したことをきっかけに、平成10年、『房総の小江戸 大多喜をつくる会』を結成した。
翌年、国の助成を受ける10年計画の事業『大多喜町街なみ環境整備事業』の採択を得て、平成12年度から事業に着手した。対象地域内の建築物や屋外広告物等の修理修景を図るもので、外観部分の工事費用のみ3分の2が補助される。
助成事業が始まり4年目。すでに47件が助成金を利用した。
町役場商工観光課の川嵜さんは「板壁や白壁、傾斜屋根や格子窓にしたり、出入口のガラス戸をツヤ消しサッシを使う。色合いも焦げ茶系に統一できれば」と話す。
対象地域は旧道沿いの商店街をメインとした新丁、桜台、久保、猿稲、大多喜の5地区。ちょうど、夷隅川といすみ鉄道の線路にぐるりと囲まれた地区だ。
「大きな火災や水害にあいながらも、歴史を感じる建物が残っている。とはいえ、新建材を使った建物も増え、古い街並みがちぐはぐになってきた。更に、空き地や空き家が目につき、虫食い状態になってきている。これを何とかしたいと思いました」と、会の代表を務める渡邊功さん(71)。教員を退職後、区長として地域をまとめてきた。
副会長の大久保幸一郎さん(63)も「数十軒の明治、大正時代に建築された家を核に、城下町としての調和を考えたまちづくりを」と話す。大久保さんも教職に就き家業の酒屋は継がなかったが、渡邊さん同様、学識経験者として町民の人望も厚いことから、会員達から副会長を務めてほしいと頼まれた。
会の活動は、まず対象地区の住民達に町並みづくりへの理解と協力を得るように、会員達が1軒1軒訪問した。もし家を新築・改築する場合はまちづくりの主旨に沿ったものをとお願いし、9割以上から同意書をもらった。
会議や研修会は原則として月1回行い、年に1回、まちづくりに成功している各地に視察研修に行く。年に数回、街並みづくりの意識を高めるため、町の歴史を綴った読み物や街並みづくりの進行状況を報告した広報紙『かわら版』を発行し、地区内の全家庭に配布している。
また、県土木事業所やNTT、東電と話し合いを重ね、子どもや高齢者も歩きやすくと歩道の縁石をはずしカラー塗装し、電柱を移動し街灯との合体化もした。と同時に、電柱も街並みに合った茶色にした。電柱移動に際して土地の所有者全員に交渉をしたのは若い商店主達だった。更に県警にもお願いして信号機や標識等も可能な限り街並みに合わせたものにした。これらはまだ地区全域には及んでいないが、通りは見違えるほどスッキリした。
歩道や石畳、案内板、ポケットパーク等も整備も始まり、一部は完成した。江戸時代の商家を再現した土蔵造りの『商い資料館』も完成。イベントや城下町案内人養成講座も開催している。
大多喜城の下から川沿いに夷隅川フィッシングパークを通り、商い資料館の裏手までの遊歩道も一部出来上がった。完成すれば、「城を見たら帰ってしまう」観光客が商店街に立ち寄るかもしれない。
助成金を受け店舗を新築した日本茶などを販売する『久保田園』5代目の窪田和夫さん(56)は、「城下町風な街並みになり多くの人が来ても、商店が集客のための営業努力をしなくちゃ活性化にはつながらない」と話す。和風建築店舗の前には「ちょっとひと休みに」と縁台を並べ、店内には一服できるようテーブルとイスを置き、花や植木、金魚鉢をディスプレイ。すでに新規客も少しずつだが増え、手応えを感じている。
会としては、まだたくさんの課題を抱えているが、急ぐつもりはない。
「10年後を楽しみにしてください。まちづくりは単発の事業ではダメ。継続し複合的なものにしないと。温かくゆったりとした心の触れ合えるまちづくりを進めていきたいと思います」と、皆の思いはひとつだ。 (内田)