2003年3月、すべての障害児・者と、その家族を様々な活動を通じて支援することを目的に『NPO法人障碍者(しょうがいしゃ)サポートセンターあっとほーむ』(2003年6月に旧障碍者支援センター『おいもこ』から名称変更)が設立された。
大多喜町の三育短期大学で、地元で活動する音楽家を中心に、大声を出して走り回ってもいいという音楽会や、会場内で寝ころんで自由な姿勢で楽しめるユニークな『岬町 畳の上のコンサート』などを開催し、障害者が主役となる場を設け、障害者を身近に感じてもらうための活動を行ってきた。
設立当初、大多喜町にあった事務所がビルの2階にあり、障害をもった人には利用しづらかったため、今年11月、持ち主である大家さんの好意により、岬町の現在の事務所を借り移転した。
事務局長を務める長野干城(たてき)さん(60)は神戸出身。中学生の時から教会を拠点に、精神障害者の家族をサポートするボランティア活動を続けてきた。当時を振り返り「ボランティアで訪ねた家で多くの悲惨な例を見てきました。精神障害者の人達の中には家族から見放され、僕にできることは、そんな人達の汚物の処理や洗濯などが主でした。同じ人間としてあまりにも酷すぎる現実に大きなショックを受けました」と話す。この気持ちがボランティア活動を継続する原動力となった。
大学卒業後、東京で美術商とテレビ番組のプロデューサー、経営コンサルトの仕事をする傍らボランティア活動を続けた。が、秒単位で動くテレビ局の仕事に心身の不調をきたし、17年前、一切の仕事を断ち「百姓をしたくて」大多喜に移り住む。その直後、脳梗塞で倒れた母親の介護も経験し「介護の大変さはやった本人でないと分からない」と言う。引き続き終末セラピーのボランティアを続ける一方、大多喜町でも運転ボランティアや介護ボランティアをした。
長年ボランティアの現場に身を置き、感じたことは「障害者家族の中には、障害者手帳の取得を敬遠し、できれば福祉など公的援助に頼らず暮らしたいという意識があり、障害者のいる家族に対する一部の世間の目を気にするあまりに閉鎖的な気持ちを抱いてしまいがち。でも、それで社会性を持てなくなるのは障害者本人ではないか」ということだった。
そして、養護学校のPTAを中心とした親の会の会長や事務担当をしていた池田久美子さん(43)と出会い、アドバイザーとして『NPO法人設立発起人組合』結成に協力し、請われて『障碍者サポートセンターあっとほーむ』の事務局長となった。
池田さんには中学2年生になる脳性マヒで肢体不自由児の娘がいる。小学生までを夷隅養護学校で過ごした。将来を考えて、今は千葉市にある入所型施設で自立訓練をしながら、隣接する養護学校に通っている。
現在、会は5人を中心に運営されている。理事長は『いすみの会』副会長だった吉野和広さん、副理事長は同会会長だった関亮さん、そして理事の池田さんと重度障害児をもつ太田香さん、事務局長の長野さんだ。
経験豊かなソーシャルワーカーやボランティアコーディネーターの不足、施設から地域社会への障害者の受け入れ体制が十分ではないこと等、会で話し合った問題点は多い。これらについても現場の声を生かし、行政に積極的に働きかける「行動的な人々の集団でありたい」という。
また、行政は基本的には法律の枠を考慮せざるを得ないため、財政的にも人的問題でも制約があると感じている。
町の福祉課からの依頼で障害者の相談員も務める池田さんは「NPOは行政と利用者の狭間を埋めることができるのではないでしょうか。親の会でも親睦団体でもなく行政でもない、でも一番住民と接点が持ちやすいアットホームな環境づくりをしていきたい」と話す。
事務所内でコンサート開催の折に使うグランドピアノを格安で譲ってくれる人を探している。
11月末から会員募集を始める。ホームページも開設予定。 (内田)