初詣の後、おとそとおせちで元旦を祝う。2004年の年明け、お宅ではどのようなお正月を迎えられたでしょうか。ライフスタイルが多様化した今、昔ながらの慣習も変化してきました。人は「しなければならない。やらされている」と思うと、おっくうになりますが「楽しむ」気持ちで参加すれば、全く違ったものになります。年末、各所で開催されたしめ縄づくりや凧づくりの教室をはじめ、郷土料理講習会が人気なのは、参加者のそんな気持ちの反映かもしれません。
まちづくりも同じように思います。皆の楽しむ気持ちが、新しいコミュニティを誕生させ、人と人をつないでいきます。「市原なんて」と、あきらめモードの人もいるでしょう。地域活動でむずかしいのは、皆の意識を同じにすることだといわれています。価値観も環境も異なる者同士が理解し合うためには、同じ情報を共有しながら互いができることで助け合うことが大切です。インターネットがこれだけ普及した今でも、地域の情報は不足し、入手場所もないことを実感します。だれもが同じように地域の情報を受け取ることができれば、気持ちのある人が、自分のできることで、気軽にまちづくりに参加できます。
大がかりなことでなくても良いのです。小さなことの積み重ねが、心温まる感謝や仲間をつなぐ感動となって、大きなウェーブとなるかもしれません。「結果が出ない」とぼやく前に、「何か上手い方法はないものか」と悩む前に、「できることから」始めてみませんか。まちおこしは夢おこし。私たちが暮らすまちを誇りに思えるよう、まずは自分の住むまちを知り、積極的に関わっていくことです。古いモノと新しいモノ。それぞれの良さを認め合いながら、両方の良さを取り入れることができたならば、全く違う新しいモノが生まれるかもしれません。今年も、シティライフでは、そんな形でまちづくりを支援させていただこうと考えています。読者のみなさんのご意見、ご要望をお待ちしています。
元旦号では、ソーランの感動が皆の気持ちをひとつにした市原市立辰巳台中学校3年5組と、その感動をいちはらに広げようと活動する千葉県立市原緑高等学校『ドッコイショ!いちはら2004』実行委員会の話題。国分寺台加茂地区で、季節ごとの郷土行事を地域で盛りあげようと頑張る『いなご会』の活躍を紹介します。(国)
みんながひとつになったソーランの感動をいちはらに広げよう
〈ドッコイショ!いちはら2004〉
今から10年前、日本一荒れた学校と報道された稚内南中学校が、郷土の民謡ソーラン節と出会い、生徒、教師、親たちが共に学びあう中、心をひとつにして地域ぐるみで再生していった。この実話を映画化した『稚内発 学び座』を、千葉県立市原緑高等学校(市川能成校長、生徒数560人)の生徒会が中心となって実行委員会を立ち上げ、2004年2月21日(土)市原市市民会館で自主上映する。題して『ドッコイショ!いちはら2004』。上映会の後は、みんなでソーランを踊り、多くの人に観てもらう企画だ。
市原緑高でソーランが始まったのは、一昨年の夏。当時3年生だった女子生徒が「とにかくカッコよくキメたい」と、ひとりで練習し始めたのがきっかけだった。メンバーは徐々に増え、体育祭、文化祭、新入生歓迎会と、学校行事がある度に披露した。「形から入っていったのだけれど、踊っているうちに自分自身に気合いが入ります。終わったときの充実感は、何とも言えないものがあります」「みんなが楽しそうに踊っているのを観て、自分もやりたくなりました。その後、校内の『学び座』ミニ上映会を観て、ますますハマりました」と、生徒たちは話す。ギャラリーからの拍手、励ましと期待の声は、生徒たちの次なるエネルギーとなった。市原養護学校のいちょうまつり、県民の日のイベント参加、国分寺台敬老会からの出演依頼など、ソーランの活動は校内から地域へと広がっていった。
生徒を指導する伊三野(いさの)友章教諭?は「ソーランの持つ教育力に、僕自身おどろいています。面と向かって人としゃべることが苦手な子も、自分の思いをうまく言葉にできない子も、踊ることで声にならない自己を表現しています。はじめバラバラだったものが、ひとつになる。入れ替わりながらの20人のメンバーですが、みんなでやるソーランの意義は大きいと思います」と、緑高のソーランへの取り組みを語る。イジメ、暴力、ひきこもり等、大人社会がそのまま映し出されたような子ども社会。コミュニケーションが希薄なのは、子どもだけではなく大人も同じ。だからこそ、ふれあいながら共に育ち学びあう『心の学び座』が大切だという。
緑高のソーランの活動を知り、市内中学校から問い合わせや指導の依頼が来るようになった。市原市立辰巳台中学校3年5組が、文化祭でクラス単位の企画にソーランを踊ると決めたのは昨年の10月初め。緑高では、養護学校のいちょうまつりで踊るため練習が行われていた。緑高を訪問した辰中の6名の生徒たちは「まとまっていて、カッコいいと思いました」「大きな声が出ていて、同じようにできるかどうか心配になってしまいました」。初めてのソーランに少し戸惑ったものの、わずか1時間半の練習で何とか形になったという。
しかし、問題はその後だった。やる気一杯の6人と、辰中3年5組35人のクラスメートたちとの間には、気持に温度差があった。「最初は希望者だけでやるつもりだったけれど、クラスの出し物なのだから全員でやると決めました。でも、練習を始めたらそうではありませんでした」。委員長の御橋翔太君は、その責任感からクラスメートに感情をぶつけた。そばで見ていた副委員長の名取秀之君は悔しくて涙を流した。小出雄大君は、どうしていいか分からず、黙々と踊りを教え続けた。女子も泣いた。自分とクラスメートの思いがひとつにならないことが、皆悔しかった。「これでまとまるのか」という担任の言葉で、クラスでとことん話し合った。その結果、もう一度クラス全員で頑張ることになった。
緑高から辰中に教えに来ていたのは、同中学校出身の谷田雄一君(3年)。「キレているなと思ったけれど、こういう熱いものがあるのがソーランだと思いました」。担任の滝口教諭は「ケンカに良いも悪いもありませんが、やりたくない気持をそれでもやるんだという気持にさせ、最後に皆で結果を出してくれた事が、何よりうれしかった」と話す。皆の気持がひとつになって、わずか3日間。母親たちも「どうせなら衣装を揃えましょう」と、各家庭で縫い上げる手配をした。いよいよ本番。それぞれの思いをぶつけて踊ったソーランは、校内中の注目を集めた。「踊ってる間はキンチョーしたけど、終わって拍手をもらった時は何ともいえないイイ気分だった」「カッコ良かったと、いろんな人から言われて、うれしかった」。皆の気持ちをまとめる難しさを学ぶことになったソーランだったが、それを乗り越えてクラスがひとつになれた感動は、それぞれの心に刻まれた。
『ドコイッショ!いちはら2004』実行委員会(新岡幸雄委員長)は、緑高生徒会(久保優子会長)と有志20名で構成する。実施に向け、出身中学校を訪問して踊り手を募集すると同時に、ポスター製作費や会場費等を捻出するため、生徒たちが個人や事業所に協賛金を募って回る。自分たちも、小遣いを出しあった。生徒会室のホワイトボードには、訪問先とエリア別に担当者名が記されていた。「いくら話すのが苦手でも、今回はどうしたってしゃべらなきゃならない局面に立たされるわけです。生徒たちにとって、初対面の相手に自分の思いを言葉にして伝えるのは、とても難しいことだと思います。この体験を、自らが変わる機会にして欲しいと思っています。言葉遣いや身だしなみも、校則で決まっているからではなく、相手に対しての礼儀として必要なことと受け止めて欲しいのです」。伊三野教諭の心配を後に、生徒たちは師走の街へ出て行った。
チラシを見せながらイベントの趣旨を説明して、頭を下げる生徒たち。「チョー、ドキドキする。でもひとりじゃないから」「世間の風は冷たいけれど、その反面やりがいがあります」。目標があるから頑張れる。やらされるのではなく、自分がやりたいからやる。ソーランで育んだ仲間の連帯感と感動の輪を自分たちの住む市原へ広げたいという生徒たちの気持ちが『ドコイッショ!いちはら2004』になった。 (国)
◇映画『学び座』上映&ソーラン演舞(入場無料)
2月21日(土) 14時30分〜16時40分 市原市市民会館大ホール
問い合わせ/実行委員会 FAX/74−7920
manabiza@hotmail.com
welovesohran@hotmail.com
◇第1回合同練習日(初顔合わせです!)
1月10日?13〜17時 八幡青少年会館・集会室(見学大歓迎、動きやすい服装で)
地域の季節行事を盛りあげてふるさとの思い出づくりを
国分寺台の加茂地区には、30・40代の有志を中心にして集まる『いなご会』がある。メンバーは地域の消防団のOBで、地元・加茂神社の秋の例祭には子ども神輿を出し、大晦日から元旦には、初詣りする人を出迎える『お焚き火』を行う。ともに、歴代のメンバーは準備に奮闘。その甲斐あって、昔からの氏子だけでなく、新しい住宅地の人たちも行事に参加するようになり、多くの人たちが楽しみにしてくれる地域イベントになったという。
「会長が何代目かなんて、もう分かんないですね。組織というより、仲間が集まって活動しているみたいなものだから」。いなご会会長・林利幸さん(39)が言うと、会のOBで初代会長の斉藤文夫さん(59)も「行事を始めた年もいつだったか、よく覚えてないなあ」と笑う。
いなご会は約40年前、文夫さんと近所の遊び仲間が、サラリーマンとなってなかなか会えなくなり、1カ月に1回くらい集まらないか、と話したことがきっかけになった。当時、文夫さんたちは20才前後、国分寺台は開発前。集落は30数戸の農村で、若い世代は、臨海の工業地帯などに勤めていた。文夫さんたちの集まりが面白そうだと、やがて集落の20・30代のほとんどが参加するようになり、地元の田にたくさんいるイナゴから会の名がつけられた。
秋の例祭に子ども神輿を取り入れたのは、約30年前。会のメンバーに子どもが増え、「どうせ集まるなら子どもたちのために何かしよう」と、酒屋から酒樽を譲ってもらい、みんなでお金を集め、祭り用の造花や鳥飾りを買って、『樽神輿』を手作りした。当時、この『樽神輿』を担いだのが、現在のいなご会メンバーの世代になる。
昭和57年、国分寺台の造成にともなって、林と畑だった神社の周囲は住宅地に変わった。境内は小さくなり、お宮が建て替えられ、隣に公民館ができた。その余剰金で町会が新しい子ども神輿を購入してくれた。文夫さんたち初代メンバーは密かに、「これでやめられなくなったぞ」と思ったが、同時に、新しい神社に人が来ないことが気になった。昔から農村の中心には神社があり、信仰があった。子どもたちは境内で遊んだ。「お宮だけ新しく、周囲の住宅の人たちもよく知らず、閑散としているのは少し寂しい。神社の初詣にひとりでも人を集めたいと思って、甘酒・御神酒の無料配布を考えました」。
メンバーは自分たちで甘酒をつくり、神社にあげた御神酒を初詣客に配って、PRした。
「近くでやっているなら」と地元の氏子だけでなく、新興住宅地の人たちも来てくれるようになった。その人たちから、「神社のお守りが欲しい」と言われ、神主さんに加茂神社用のお守りづくりを依頼。初詣客はこれを買い、メンバーが暖をとるために起こしていた火に、昨年のお守りを投げ入れて焚き上げた。そのうちに、初詣のためのこの行事は『お焚き火』と言われるようになったという。
会の最盛期には30名以上いたメンバーも、今は7名。現会長の林さんや副会長の斉藤正弘さんはお焚き火を始めた前後に参加したというから、約20年だ。「イベントに必要な費用は、メンバーで出すのが基本。人数が少ないので、不足分は町会に援助してもらっています」と林さん。労力不足も大変で、秋祭りもお焚き火も、少ない人数で切り盛りしている。秋祭りには地元の人たちや家族の応援が心強い。「神輿を担ぎに来る子どもたちは30人ほどですが、町内を歩き終わる夕方くらいには、なぜか100人ほどに増えてるんですよ。学校などでお祭りがあると聞いて、いろんなところから来るんですね。こっちも子どもたちが喜んでくれる方がいいから、それを見越した数でお菓子のセットを作ったり、焼きそば120玉を焼きます。みんなが集まって嬉しそうに食べてる様子はいいですね。やっぱり地域にはこういう風景が必要だな、と思います」と林さん。正弘さんも「私たちの友人には、生まれ育ったこの地区から離れている人もいて、秋祭りには子どもを連れて帰ってきます。久しぶりに会った知人の子どもが大きくなってたりして、『そうかあ、中学生になったかあ』なんてね。1年に1回の町内同窓会のようですよ」と話す。
お焚き火も同じで、話を聞いた別の地区の人たちや周辺に住む外国の人たちが、「こんな近くに、初詣りできる神社があったなんて」と嬉しそうに甘酒を飲んでいく。さらに若い人たちが早い時間から集まり、石段に並んで新年のカウントダウンをする。神社に来た人たちはみんなで一斉に「おめでとう!」と祝い、神社は和やかな雰囲気に包まれる。林さんたちは、凍える中「当分甘酒は飲みたくないと思う」くらい作り、午前3時頃に引き上げるが、元旦の午前中は後始末で神社に戻る。大晦日の昼間からの準備もあって、この20年はゆっくり年越ししたことがない。
「大変なんですが、どちらの行事も毎年欠かさずくる人が多くなって、やりがいがあるんですよ。特にこの数年は、若い人が増え賑やかです。今年の秋祭りは初代メンバーのお孫さんが神輿デビューしましたし、地域の行事として、本当に定着してきました。世代を越えた地域の共通の記憶というか、ふるさとが形になった季節行事というか。みんなの元気な笑顔が見られる貴重な場所ということもありますよね。これは絶やしたくないと思っています」と林さん、正弘さん。これからは地域の若い世代の交流を活発にするため、積極的に地区の若い人たちを誘って、活動していきたいという。 (米)