管理放棄されたかつての美しい里山は荒廃し、踏み入ることもできない状態だった。「ふるさとの森を、このまま放っておくわけにはいかない」と、有志で道を開くことから始めた。入り口の羽賀堰から約1キロ先、三山信仰の行人塚があった場所には、樹齢百年の見事な山桜が花を咲かせていた。2004年4月、思いを同じくする地域住民が集まり『市原米沢の森を考える会』を立ち上げた。
1999年、千葉県住宅供給公社が『米沢団地』開発のために取得した約80ヘクタールの森は、手つかずのまま凍結となった。「山が公社の手に渡った13年前、塚のそばにあった石碑はふもとに降ろしました。それ以降、ここに足を運ぶ人もなく、荒れるままになっていました」と、考える会代表の鶴岡清次さん(60)は話す。あまりの荒廃ぶりに個人の機材だけでは間に合わなかった。昨年、全国労働者共済組合連合会の助成金に申し込み、会で里山整備のための大型草刈り機2台とチェンソー1台を購入した。
会員は32名だが、実働会員はその半分。月に2度、休日を活動日としているが、メンバーは声をかけあい平日も自主的に森に入る。だれも通らなくなった道は、市道にもかかわらず倒木が行く手を阻み、道の真ん中に直径10センチ以上の真竹が何本も生えていた。草刈り機を背負い、チェンソーをうならせ、一歩ずつ前へ道を開いていった。「うっそうとした森の中に、ナラやクヌギに覆われ、ツルに絡まれながらも山桜が花を咲かせていたんです」と、メンバーはその時のおどろきを話す。皆でツルを取り除き、周囲の木を切り払った。、道から山桜の木がある場所まで、伐採した木で階段もつけた。会員たちの手によって大空に枝を広げることができた山桜は、米沢の森のシンボルツリーとなり、開花は活動の励みとなった。
手入れの行き届いた昔の山を知る地域の長老たちも、あの里山がよみがえるならと、協力を惜しまなかった。「うぐいすライン沿いの尾根道は、役人や商人たちが通った江戸道」「山には多くの古墳塚がある」「屋根を葺くためのカヤ場へ通じる道は、人だけでなく馬や牛も荷物を背負って通った」「米沢の寺に開校した高等科に、山越えして通った人もいる」等々、活動を通じてふるさとの森の歴史や文化までも知ることができた。
「長年人が入らなかった谷津田はすっかり荒れてしまったけれど、水は今も湧き続けています。いつかここに、トンボやホタルが住む自然を取り戻したいと思っています」と鶴岡さん。今年、活動は県と市が支援するいきいきいちはらふるさとづくり事業に採択された。夏草と戦いながらの遊歩道整備も進んだ。これからの季節、1周約4キロの森をめぐるコースには、落ち葉からドングリやキノコが顔を出す。今後は、里山の自然を紹介するマップを作り、米沢の森を多くの市民に親しんでもらえる場所にしたいと、メンバーたちは、ふるさとの森に託す夢を熱く語る。(国)