山を彩る新緑がまぶしい季節。水が入り青空を映す田は、辺りを一段と明るくする。米作り、人々の暮らしは水と共にあった。水を得るために、先人たちは多大の労力と知恵を費やしてきた。市原市南部、古敷谷(こしきや)と吉沢(きっさわ)に、水穴のある長水路を訪ねた。
養老川上流域。山の水を集め、支流をせき止めた水は、地元で『テビ』と言う用水路で導かれ、田を潤す。渓谷が美しい川は、流れの水位と耕地との段差が大きい。『トンバ(止場)』と呼ばれる取水口から、用水路は等高線に沿って山裾をめぐり、ある時は地にもぐり、トンネルを抜けて、何キロも先まで流れて行く。川から直接水を導くことのできない高地の田にも、人々の知恵と努力で水は引かれる。このような長水路は、江戸末期から明治にかけて養老川上流域に多くつくられた。現在も使用されているのは、数カ所だけとなっている。
「ついこの間、地域でテビざらいと言って水路の泥を上げたばかり。昔はここでよくシジミを捕ったもんですよ」と、古敷谷川の江孫(えまご)用水を案内してくれた米満俊子さんは話す。田んぼを見下ろす高台を流れるる用水路には、とうとうと水が流れていた。地にもぐる水路は、幅2尺高さ5尺。高低差を考えながら、方向を定めて人の手で岩を掘り抜いて作られた水穴(トンネル)は、小さく見えても人が入れて歩ける大きさがある。重機もなく文献も少ない時代、人々の土木技術の高さにおどろかされる。
さらに上流、江孫用水のトンバに来た。数十年前までは、ここで子どもたちが泳ぐ姿も見られたという。せき止められた水は、岩に掘られた大きな穴へと導かれていた。昭和45年の集中豪雨で、使えなくなった水穴だが、その後復旧して再び使えるようにしたという。水が流れ始めると、水番が見回りを始める。水利は、米作りをする農民にとっては死活問題。経費も労力も地域で話し合って出し合う仕組みが、今も残っている。
吉沢の小草畑川にも、地域で守られて来た吉沢月出用水がある。月出のトンバに案内してくれたのは、用水路を管理する岡本嘉二さん。「昔はスギの角材と板で作った板羽目堰で、洪水の時は壊れないように開放していました。今は金属製の堰で水量によって油圧で操作しますが、どんなに遠くの田に水を導くにも、ポンプなど使わずに自然の力だけで流しているのが自慢です」と話す。トンネルを掘り、川の流れまで変えて作られたトンバは、まるで小さな弘文洞のよう。堰から流れ落ちる水に光が反射してまぶしい。
こいのぼりが泳ぐ青空の下、風に揺れる畑のナノハナ。土手一面に咲くタンポポ。庭を彩るミツバツツジ。谷津田にウグイスのさえずりがこだまする。水路脇には、フキ、ワラビ、タケノコ等、春の山菜も。自然豊かな養老川上流の長水路に、水利の歴史を学んだ。 (国)