NO.105

風に吹かれて出かけてみれば

― 市原市 町田・廿五里 ―


果樹の里を巡る揚水路とトンサ道

 

 ひなまつり間近。旧暦の3月といえば、桃や桜の花が一斉に咲き、人々が田畑に出始める季節だった。半世紀前、桃の里として栄えた市原市町田、廿五里(ついへいじ)地区は、いま養老川の恵みが育む市原梨の一大産地として知られる。花の季節を迎える春、果樹の里はにわかに活気づく。

 「私が子どもの頃、桃の花の季節になると、街場からの花見客でにぎわっていました」と話すのは、町田の果樹栽培農家、徳政幸夫さん(61)。見渡す限りの畑が、ひときわ濃い桃色に染まったという。昔、養老川に架かる柳原橋と廿五里橋の間に渡しがあり、人々は船で渡っていた。今も船頭という屋号が、その名残を残す。
 現在、高速道路で分断されてしまった町田地区には、生垣が囲む立派な屋敷が軒を連ねる。敷地内の板蔵が、地域の繁栄を物語る。「戦後間もない頃、木箱に詰めた桃は、一箱で熱海旅行ができるほどの高級品だったと聞いています。早朝まだ暗い頃、収穫した桃をリヤカーに積んで、親父は千葉の市場まで自転車をこいで運んでいました」と、徳政さんは思い出を語る。
 40〜50年前から、木が古くなった桃は梨へと植え替えられ、かつての桃畑は、今梨畑となった。桜の花が散る4月初め、町田、廿五里地区は梨の花で真っ白になる。花の咲く1週間、梨畑は授粉作業でにぎわう。
 梨畑の中に、地域の人たちが「トンサ道」と呼ぶ道がある。久留里の殿様が江戸へ上る時に通った道だという。「トノサマミチ」が訛って「トンサミチ」となったらしい。道端にある馬頭観音には「くるり」の文字が刻まれ、舗装された道は、養老川の渡しへと続く。
 「柳原橋も、廿五里橋も50年前は木橋でした。洪水の度に流され、向こう岸の桃畑に行くのに、8キロ先の出津橋を迂回して収穫に行ったこともありました」と徳政さん。廿五里橋の少し上流に、廿五里堰がある。昔は角材と板を使ってせき止めた板羽目堰だったが、今はコンクリート製の電動式。地域の田畑を潤すため、毎年3月中旬にせき止め、9月末に開放する。水位の上がった川から引いた揚水は、青柳方面へ流れる1号管線、今津方面へ流れる2号管線、そして町田をはじめ東海地区を潤す3号管線に分かれる。養老川の水を分け合う昔からの仕組みだ。元養老川の流れだったという上前川には、流れの上を渡るめずらしい水管橋がある。堰の上流と下流の水位差を利用して、殆ど高低差のない平地に水をくまなく流す先人の知恵だという。
 揚水路に水が流れ始める頃、冬場の剪定作業が終わった果樹の里は、花の季節を迎える。一昨年、徳政さんはトンサ道沿いの畑に20本の桃の苗木を植えた。次々と花が咲く春が待ち遠しい。 (国)

地図

馬頭観音



梨畑

水管橋

廿五里堰  

渡し場跡から見た柳原橋


剪定作業に忙しい
徳政さん

板蔵

堰を管理する山口範芳さん
  



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