シティライフ株式会社

NO.115

風に吹かれて出かけてみれば

 ―市原市 能満―

 弘法大師ゆかりの古刹で除夜の鐘撞き

        市保護樹木のコブシ(手前)と除夜の鐘をつく鐘楼

 

 

  年賀状や大掃除など、年末ならではの話題が多くなる季節。各地の寺社でも参拝者のための準備が始まっている。能満の住宅地にある法然山釋蔵院は、724年創建・808年に弘法大師空海を開祖とする古刹。平成8年に再興された新上総国三十三観音霊場・第三十一番札所でもあり、檀家だけでなく、巡礼で老若男女の参拝者が訪れる。
 国道297号線、郡本交差点より八幡方面へ数百メートル。右側にある看板を目印に右折し、急な坂を下りきると、釋蔵院がある。石畳の参道は桜と椿の並木、灯籠が立つ。右手奥の土手には、大きく『しゃくぞういん』とひらがなの形の植木が見える。これは5年ほど前、住職の岡島瑛昇さん(55)の案で檀家の皆さんと2日がかりで植えたもの。その上に見える緑は椿の垣根。住職が20年前から少しずつ手植えし、裏山の墓地まで約300本、境内全体では約50種が、冬から春先にかけて次々に咲く。その後は古木も含め多くの桜が境内を囲むようにして見頃になる。
 階段を上がれば、樹齢約600年のケヤキ、約200年のコブシの大木がある境内。昭和36年の大火災で、本尊ほか一部を残してほとんどが焼失、山門や本堂などが再建されている。「釋蔵院は901年に醍醐天皇の勅願寺となり、最盛期には15万石の領地と36の末寺を持っていました。地域のお年寄りによると、以前の本堂は茅葺き総檜造りで、客用の膳・食器など、様々なところに菊の御紋が使われていたそうです。外部の歴史資料に『府中釋蔵院』と度々記されて、能満の上総国府跡説裏付けの一つになっています。古文書が焼けなければ、国府の場所を特定できるものもあったかもしれませんね」と住職は話す。2年前には、徳川家康に随行する高野山西門院に宛てられた手紙が、知己である釋蔵院住職・快弁のものと判明。焼失せずに残った100点以上の古文書から、当時、多くの弟子を抱え真言密教の道場として繁栄していたことが分かった。
「焼失を免れた大師堂は、四国八十八カ所の霊場を上総にも作ろうと、江戸時代中期、釋蔵院が発起人となったときに建立されました。見事な鳳凰や松の彫刻が施され、江戸の世話人の名があるなど、多くの信仰を集めていたことがうかがえます」。堂の向こうには、葉の裏から茎が伸び、その先に実をつける珍しい木で、空海が植えたと伝わる『なんじゃもんじゃ』と呼ばれる木もある。
 大晦日には除夜の鐘つきと護摩祈祷を行い、約3000人が訪れて賑わう。23時から翌1時、鐘つきは一打300円で記念品と甘酒、お年玉のくじ引き付き。正月3日間も9時〜15時受付。この年末年始は、由緒ある市内のお寺で、良い新年を願ってみては。(米澤)

問い合わせ/釋蔵院  TEL.41-7666

■地図
境内の土手、寺の名前に
なっている植木
江戸時代に修行していた
少年僧の書写教本
江戸時代に
作られた大師堂
本堂でお寺の説明を
する岡島住職
なんじゃもんじゃの実
  



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