シティライフ株式会社

NO.124

風に吹かれて出かけてみれば

 月見のロマンを
ひもとく癒しの森づくり

市原市米沢・
御十八夜の峰

 

 市原市南総地区、80ヘクタールという広さの米沢の森に地域住民が「おじゅうはっちゃ」と呼ぶ峰がある。標高162メートル、東に太平洋、西は東京湾の向こうに富士山。そして北に筑波山を望むことのできた頂きは、かつて地域一番の展望を誇っていた。
 長い間、荒れたままになっていたふるさとの森を再生しようと、地域住民が立ち上がって3年。シノダケに覆われた道は、その昔牛馬や人々が通った生活道だった。森をめぐる道は、チェーンソーやカマを手にした米沢の森を考える会のメンバーによって開かれ、総延長4キロメートルの散策道として整備された。活動していくうち、この森には多くの歴史や文化、そしてロマンが語り継がれていることを知った。
 中でも三等三角点のある森の最高峰は「おじゅうはっちゃ」又は「ごじゅうはっちゃ」と呼ばれ、いにしえより村人たちが集いの場にしていたという。「御十八夜と書くそうです。最初、耳で聞いただけではどんな字なのかも分かりませんでした。古老たちによれば、この森には古墳も多くあり、歴史と共に様々な文化があったようです」と、会代表の鶴岡清次さん(61)は話す。会では、寺の住職、神主、歴史研究家など、地域を知る人たちに話を聞く勉強会も開いた。
 秋晴れの10月17日、落ち葉を踏みしめながら、会メンバーと共に御十八夜への道をたどった。頂と米沢の森の散策道とは、まだつながっていないため、今回はゴルフ場の許可を得て管理棟のそばの急坂を上がることにした。現在、峰にはテレビ塔や携帯電話の通信アンテナがあるため、道はきれいに整備されている。「私が子どもの頃、奉免からは6尺道が続き、頂にはやぐらが組まれ、山の神を祀った石碑がありました」「春は山菜取り、秋はキノコ取りと、子どもの頃は友達とよく遊びに来ていました。道には馬車のワダチが付いていたのを覚えています」と、今は荒れて展望もきかない頂だが、地域の人たちは当時の思い出を語る。
 峠から周辺へ続く尾根道は、ナタの背のように狭かったので「ナタンボリ」と呼ばれていた。やせ尾根は、奉免、米沢、川在の分水嶺でもある。ふもとにはワサビが自生する湧水もあり、周辺のため池の水源ともなっている。森は荒れているが何本もの見事な山桜が自生し、クヌギの大木もあった。「昔の地名をひもとくと『桜房』『花立野』とあるのもうなずけます。御十八夜の名称も月待ちから来たものかもしれません。春は花見、秋は月見のスポットとして地域の人に親しまれていた場所だと思われます」と、鶴岡さんたちはこの森にかつての賑わいを取り戻したいと話す。
 日本では古くから秋の名月を観賞する風習があるが、十五夜が晴れるとは限らないため、前夜の十四夜に見る月を「宵待月(よいまちづき)」。それがダメなら翌夜の「十六夜(いざよい)」。月の出もだんだん遅くなり、十七夜は立って待つ「立待月(たちまちづき)」。それでもダメなら十八夜は座って待つ「居待月(いまちづき)」。十九夜ともなると、もう寝て待つしかない「寝待月(ねまちづき)」。二十夜になると月も夜更けまで出なくなるので「更待月(ふけまちづき)」と呼び、執念の月見となる。また、18日は観世音菩薩の縁日。4月と11月の18日には、御十八夜の碑に供え物をして月見を楽しむ風習が各地に残されている。
 ふるさとの森を憩いの場、癒しの場にしたいと、会では、今後これまで整備した散策道と御十八夜までのルートをつないでいくという。活動は今年度の市の市民活動支援補助事業に採択されたのと同時に、今回県の公募事業にも採択された。11月4日?、ちば里山センターの後援を得て「みんなでつくろう森の階段」と題し、ルートづくりがスタートする。当日は、豚汁、焼イモの無料配布もある。昼食後は、森の歴史や文化を学びながら秋の古道を散策する予定だ。(国安)

お問い合わせ/ちば里山センター
TEL.0438-62-8895
お問い合わせ/米沢の森を考える会
TEL.0436-92-1196
地図
  


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