新聞に載るような重大な虐待ではないにしても「つい感情的になって、たたいてしまった」など、自分自身に悩んでいるお母さんたちも多いようです。地域で子育てを考えるh市原おやこ劇場iが主催した一般公開講演会から、子ども虐待防止センターカウンセラー、広岡智子さんの講演「今子育てがあぶない」を紹介します。
(国) 千葉県内でもここ数ヶ月間に虐待で子どもが何人か亡くなっています。「母親の母性本能はどこにいったのか」と新聞テレビ等のメディアで問われていますが、虐待と育児困難は根本的に違います。 虐待の定義もはっきりしていませんが、非偶発的、継続的(毎日の繰り返し)でしつけの域を超えているものをいいます。身体的な虐待にはアビューズといわれる見えて聞こえる力の乱用と、ネグレクトといわれる無視、無関心、放置のように外からはわかりにくいものとがあります。「おまえなんかかわいくない。どっかへ行ってしまえばいい」これも毎日繰り返し言い続けると、虐待になります。
これまで多くのケースを見て感じたことから言わせていただくならば、たたいたり叫んだりするのは、まだ関心があるということです。たたかれもせず無関心で育ってしまった子どもの方が問題は深刻です。 虐待されている子は得てして異常なまでに低身長、低体重の子が多いですね。どんなにたくさん食べていたとしても大きくなりません。親の関心は愛情です。愛情は子どもにとってミルクと同じなのです。また、虐待されている子の中には年令にくらべ、お行儀が良過ぎる子がいます。2歳にもならない子がこぼさないで、とてもきれいに食べます。そして大人の中にいても全くじゃまにならないほど静かです。そうしないと叱られるからです。 しかし、育児にはゆるやかな権力は必要です。ここにいらしゃる皆さんが悩んでいらしゃるのは、さほど深刻でないケース「ついつい手が出てしまって…」という場合が多いのではないでしょうか。思うようにならないのが育児です。したいことが完璧に出来てしまうというのは、本当は怖いことかもしれません。私たちは完璧ではありません。育児だって自分が親にしてもらったことを同じように子どもにしてあげているのが普通です。100%子どもを傷つけず、自分も傷つかない育児なんてありえません。何の反省も後悔もない子育てなんてないのです。 今二極分化していますね。新聞報道に載るような生命が危険になるものと、先程申しあげたような自分自身で悩んでいる軽度なものと。子どもの側に立ってみれば、命の危険はないにしても気持ちが傷つけられる場合もあるでしょう。その意味では今の時代は病んでいるといえるかもしれません。相談所への電話の本数も1991年から急増し、年間23000件を超えています。電話しても通じません。でもみなさん「私みたいな人がたくさんいるんだ」と反対に安心するんです。社会は大きく変わっているのに、育児環境の整備をしてこなかったツケです。 今一番大事なことは「もっとゆっくり」だと思います。「母さん、よくそんなこと言えるよな」と息子たちに言われそうですが、先輩お母さん達の反省を活かしてください。例えば早過ぎるトイレットトレーニングは返って親子の関係を引き裂く結果になりかねません。「早く、早く」の裏には人より抜きんでることで母親としての評価が上がるという期待があるからだと思うのです。いいお母さんをやろうとすればするほど、自分自身悩むことになるかもしれません。例えば参観日には自分の子ではなく、よそのお子さんを見てみましょう。同じような子がたくさんいるのに気がつきます。自分のことばかり考えているとイライラしてしまいます。全てを自分のてのひらで育てようと思うと、虐待の可能性も出てくるのです。