JEF市原のミッドフィルダーとして期待されてチーム入りした京谷和幸さん(29)は、Jリーグ開幕の半年後、事故により下半身に障害を負いました。その後車椅子バスケットボールに転向し、昨年開催されたシドニーパラリンピックでは日本代表として活躍。市原青年会議所主催で開催された京谷さんの講演会『車椅子のJリーガー』から、その一部をご紹介します。(国)
みなさん、こんにちは。サッカーをしていた時は度々市原に来ていましたが、今日は久しぶりです。でも、事故後何度かサッカーの試合を見に来ましたし、出張で来ることもあります。
僕が事故に遭ったのは、あと2カ月で結婚式という時でした。サッカーが出来ない体になったと知った時はとてもショックでしたが、泣くだけ泣いたら不思議と気持ちが切り替わっていました。僕には事故後10日で異例の入籍をした妻の陽子がいました。「ふたりでがんばっていこう」と言ってくれた陽子の言葉が心の支えでした。何としても生きていかなくてはならないと思いました。人間守らなければならないものがあると、強くなれるものです。
僕はいつも人生の目標を設定しています。小学校のころはサッカーのプロ選手が目標でした。そして、その夢は叶いました。事故後の目標は、完全社会復帰に向けてのリハビリでした。みぞおちから下の感覚がない僕にとって最初は起きあがることも、座ることも出来ませんでした。中でも一番苦労したのが排便のコントロールです。ちょっと間違うと漏らしてしまうし、自分は本当に障害者なんだと落ち込みました。コントロール出来るようになってトランクスがはけた時、僕のなかでひとつ社会復帰が出来たと思いました。一刻も早く退院して普通の生活に戻りたかった僕は、与えられた訓練の課題を繰り返し猛練習しました。そして通常1年半〜2年かかるというリハビリを半年で終えることが出来たのも目標を設定したからだと思っています。
入院中から「バスケットをすればリハビリになるから」と誘ってくれたのは、後のアトランタパラリンピックのヘッドコーチを務めた千葉ホークスの小瀧修さんでした。退院後練習を見に行っておどろきました。正直こんなことは出来ないと思いました。障害者なのに少しは自分の体をいたわれよというぐらい、ハードでした。車椅子に足をくくりつけて激しくぶつかり合う様子に、みんな普通じゃないよ、どうかしてるってね。でもスポーツをする同じ障害者同士ということで話が合って楽しかったし、みんな元気でした。
苦しい家計からやりくりしてバスケット専用車椅子を作ったとき「やる以上は目標を高く持ってね」と妻に言われ、事故で延期になっていた結婚式で僕は「パラリンピックを目指します」と言ってしまったのです。でも、僕がこんなにバスケットに打ち込むようになった一番の動機は、人工授精で生まれた娘の栞奈(かんな)でした。父親が障害者でいじめられるのではという不安もあったし、この子のために父親として何か誇れるものを残してあげたいと決心したから、これまでがんばれたのだと思っています。
バスケットとサッカーでは上半身と下半身、体が逆転してしまいました。でも、本質的にとてもよく似た競技でした。サッカーは11人、バスケットは5人。どちらもチームワークが大切です。自分自身に対する安易な妥協は許されません。車椅子バスケットは障害者スポーツの中でも一番激しいスポーツだといわれています。チームごとのハンディをなくすため、障害の程度を点数で表しますが、僕は一番重度の部類です。初めの頃、体育館を10周走っていただけで音をあげていましたが、練習前の軽いトレーニングと言えるくらい平気になっていました。スピードをあげて走っている車椅子のタイヤを素手で止めるので何度も皮がむけました。だんだん上達してレギュラーへ、ついに約束したパラリンピックへの出場が決まりました。決して楽な道のりではありませんでしたが、
事故がなければ今の僕はありえません。だから、事故のことをマイナスに考えたくはありません。
いま、僕は社会福祉の仕事をしています。リハビリを終えて退院した後、生活のために仕事をしなければなりませんでしたが、当時サッカー以外で何が出来るのかもわかりませんでした。また、障害者の雇用は門戸が狭く世間は不況でなかなかみつかりませんでした。そんな時、情報をくれたのもバスケットの仲間でした。慣れないデスクワークも最初は不安でしたが、何とかなるものです。おかげでまったく縁のなかったパソコンも使えるようになったし、プロはスポーツの世界だけではなく、どこの世界にもプロがいるということを知りました。そして、そういう人のことを凄いと思えるようになったことは大きな収穫でした。これからは、僕も障害者の視点を仕事に役立てていきたいと思っています。
昨年、わが家には長男の泰我(たいが)が誕生しました。まだ1歳になったばかりで何も分かりません。だから泰我のために今後の目標はアテネです。みなさんも、ただ目標を立てるのではなく、その目標に向かって行動する過程を大事にして欲しいと思います。目標達成だけが結果ではなく、それによって自分がどれだけ変われるかを実感して欲しい。僕も家ではみなさんのお宅と変わらない普通のお父さんです。今だから言えることだけど、足がタイヤに変わっただけ。サッカーもバスケも、僕にとって夢を見させてくれるもの。目標を高くもって、これからもがんばろう!