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NO.27


青野 輝子さん

「タクシーおばさんのちょっとがむしゃら人生」

 日本初の女性タクシードライバーとなった青野輝子さん。75歳になったいまでも「素敵に今日を!」と、現役で走り続けています。テレビドラマにもなったその波瀾万丈の人生は「私も頑張らなくちゃ」と、やる気を起こさせてくれます。市原商工会議所婦人会主催の講演会から、その一部を紹介します。はりのある声でエネルギッシュに語る青野さんを囲む会場は、笑い声が絶えませんでした。(国)

 私は縁あって昭和39年より女性タクシードライバーとして東京をひた走っています。景気の良い頃は、市原あたりまで乗車される方もありました。私がこれまでにお乗せしたお客様は14万7300人、走行距離は180万キロメートルになりました。

 私の母は明治生まれで、今でいう教育ママでした。「男性にすがってご飯を食べさせてもらう女になるな」と、勉強よりケンカの得意な私をむりやり師範学校にやりました。国民学校で2年間教えて終戦。教えていたことが間違いだったなんて、子どもたちに合わせる顔がありませんでした。自分に正直に生きたいと、親の反対を押し切り、先生をやめて上京しました。

 21歳。東京では、住み込みで戦後初の女性参議院議員の木内先生の秘書をしました。かわいがってもらいましたが、政治家には嘘つきが多いと感じてやめました。馬鹿だね、続けてたら田中真紀子さんより有名になってたかもね。

 26歳。初めて見合いした男性と結婚をしました。でも「みそ汁がまずい」と3カ月で出て行ってしまいました。東北出身の夫と四国出身の私では、みそ汁の味が違うのは当たり前、言ってくれればいいのにね。でも私は去る人は追いません。その後、娘が生まれました。子供を抱え、お話にならないくらいボロボロの貧乏をしました。洋裁、和裁、会計事務所の手伝い、日銭を稼いで子供を育てました。でも幸せなことに、人は一番苦労している時にこそ知恵が出るものなんですね。

 昭和29年。道を走る車の量が増えたことに気づきました。これからは車の時代だと思って、免許を取り、借金して日野ルノーという自動車を買いました。先走りの性格は今でもなおりませんが、ルノーの会社に入れてもらいたい一心で弁当持ちで座り込みました。3日目、社長が会ってくれ「男に負けない仕事をする」という条件でセールスに採用されました。ここが、女の頑張りどころです。売れましたよ。コツは、その人としか出来ない会話をすることでした。あの人とはこの話題、というのがあるはずです。「同じ買うなら、あのオバサンから買おう」と言っていただけました。車の後ろに子供と遊び相手の犬を乗せてセールスしました。子育ての話で意気投合した奥さんもいましたね。10年後、ルノーが生産中止になり、会社をやめました。ルノーに惚れ込んでいましたからね。他の車のセールスなんて考えられませんでした。

 昭和39年。私は、ルノーを使ってくれていたタクシー会社の運転手になりました。当時この業界は男性の職場でした。20社回りましたが「24時間勤務、女性用のトイレも仮眠所もない」と断られました。子供の教育費を稼がなければなりませんでしたからね、雇ってもらえた私は、女性ならではの根気と情熱とハングリー精神で頑張りました。初めて出たその日から、当時350人いる運転手のなかで、ずっと水揚げは一番でしたよ。そして来る者は拒まず。いつも水揚げがビリだった10歳年下のおじさんが、今の亭主殿です。以来40年、今だに稼ぎの悪い方が家事をしています。

 私は人の情けのふれあいが好きです。タクシーの中は、他に話が漏れないという安心感からか、お客さんの本音が出ます。おばさんタクシーに乗って、迷っていた結婚を決意した人が5組。忘れられないお客さんは、大勢います。話すと何日もかかってしまいます。私が今でも続けられているのは、この素晴らしい出会いがあるからです。「四谷でおばさんタクシーに乗ると何か良いことがある。みんなが、しあわせタクシー、カウンセラータクシーと呼んでいるよ」と言っているのを聞くと、うれしくて頑張ろうという気持ちになるんです。ありがとう。

青野 輝子さん「人の情けのふれあいが好きです」
大正15年生まれ、愛媛県松山市出身。東京個人タクシー太陽協会会長(全国唯一女性会長)。平成11年、タクシードライバーとして、女性初の運輸大臣賞受賞。現在、テレビ・ラジオの出演多数。全国各地で講演会。

 



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