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NO.9

寺子屋紙面塾9  豊かな自然が支えた食生活 縄文時代の遺跡・貝塚

講師・忍澤成視氏
教育委員会生涯学習部・史歴上総国分尼寺跡展示館主任。昨年までは埋蔵文化財調査センターで、祇園原貝塚の整理作業を担当していた。
 

 縄文時代をはじめ遺跡の多い市原。今年3月には、祇園原貝塚の発掘調査と整理作業の成果が公表された。それをもとに、月1回の歴史講座が史跡上総国分寺尼寺跡展示館主催で開かれている。8月は「縄文人の食べたもの・1 海の幸」をテーマに、埋蔵文化財調査センターで行われた。        (米)  ◇  ◇  ◇ 貝塚は東京・神奈川よりも千葉県側に数が多く、特に市川・千葉・市原は貝塚の密集地帯と言われています。 貝塚から出てくるものは、9割以上が貝です。私達はそれを回収して全部調べ、分類して集計します。貝全体の4分の3以上を占めるのが、巻き貝のイボキサゴ。数えるのがイヤになるくらい(笑)何万個と出るヤツで、指先くらいのちーちゃいものです。食料ではなく別の用途があるとも言われていますが、私はシジミ汁のように身を食べず、スープにしていただろうと思います。こんな貝をわざわざ大量に採って、重い思いをして台地の上の集落まで運ぶんですから、他に使い道があるとは考えにくい。食生活を考える点でポイントになる貝ですね。 ハマグリ、アサリ、マガキなど、馴染みのあるものもあります。繁殖力の強いアサリより、今の日本ではもうほとんど採れなくなった、きれいな干潟にしか住めないハマグリが何倍も多く出ています。珍しいのは、岩礁に住むアワビなどの貝です。千葉県でも南房総まで行かないと採れないので、他地域との交流が分かる重要な遺物です。貝を調べるときは、必ず生息地などを頭に入れて行います。たまに出る遠方のものは人間の別の行動が見えてくるので、注意が必要です。淡水に住むカワニナ、マツカサガイ、海水と淡水が混ざる河口に住むヤマトシジミも少しですが出ます。これで海から川まで広い行動範囲があったことが分かります。 さて、食べ方です。貝殻に無理矢理こじ開けた跡はないし、焼いた跡もないので、煮ていたと思われます。深い土器で海水を使い、調味料はないですから、素材の味が主ですね。貝だけでなく、魚、肉、木ノ実の団子とか、旬のものを豊富に入れた今の鍋料理みたいなものと思います。その他、むき身を干して保存食にもしていました。これは信州で採れる黒曜石と物々交換する交易の品であったと昔から言われています。ただ、こちらにはその石材が残っていますが、信州では干し貝は出ませんから(笑)証拠がないですね。 今、私達が調査しているのは西広貝塚ですが、貝殻の断面に見られる成長線を数えると季節が分かるので、今後はどの頃にどんなものを採っていたのかも分析するつもりです。 貝と同じく、魚も海、川、沼といろんな所で獲っています。ひと昔前の調査では、大きい骨は見つかっても、細かい骨は見つかりませんでした。だからマダイ、クロダイ、スズキなど、大物しか食べていない印象だったんです。でも実際、細かいものもすべて洗って調べるという、気の遠くなるような作業をすると(笑)、たくさんの種類が出てきました。特にアジ、イワシがメインで約3分の1でした。つまり「群もの」です。魚はたくさんいたでしょうし、網一発で大量に獲れれば、食生活が安定します。ウナギ、コイ、フナも食べていましたし、ウミガメの骨も加工されたものが出ています。広い砂浜に卵を産みますから、きっとそれも食べていたでしょう。それからカニは、最近ようやく火を受けたハサミの部分が何点か出てきました。トゲが抜けたウニの殻も焼けたものが見つかっています。微小貝の仲間で、海藻・草の葉にくっついて生息している貝もたくさん見つかって、それらを利用していたことが裏付けられました。縄文時代は1万年以上、狩猟・採集社会を維持しています。その根底には、ひとつのものに絞って乱獲しなかったことがあります。豊かな自然と動植物を幅広く利用したのです。 私はプライベートでよく海へ行きますが、波打ち際に打ち上げられている貝殻やカニの爪、ウニの殻を探します。浜ではそういうものを拾ってばかりいるんです。それを整理分類し、標本として揃えて、貝塚から出てきたときに比べて種名を確定するんです。ぜひ皆さんも海に行ったときに探してみて下さい。縄文の人達の気持ちが味わえると思いますよ(笑)。

 

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★映像と遺物から学ぶ歴史講座 
主催・史跡上総国分尼寺跡展示館    
TEL 21・7633

 



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