NO.86
幼い頃から憧れた日本で暮らして20年
「日本舞踊をもっと極めたい!」 日本舞踊家 ウエラー・キャスリンさん(山武町)
山武町に住むカナダ人、ウエラー・キャスリンさん(60)は、『キャシー』の愛称で呼ばれ、英語講師や翻訳の仕事をしているが、『藤間竹遙渓』の名を持つ別家藤間流 日本舞踊名取でもある。来日して20年。今年春には永住権を取得した。町のコーラスサークルに所属し、今年12月には東金で毎年開催している第九を歌うイベントに参加することが、目下の楽しみという。 ◆キャスリンさんが日本に関心を持ったきっかけは? 「子どもの頃、姉の友達からもらった日本人形を見て、西洋の人形とは違う可愛さに感動しました。それからずっと日本には関心を持っていて、日本について書かれた本を読みあさったりしていました。憧れの国でした。教育大学に入ると日本文化や芸能を学ぶクラスを選び、日系会館で盆踊りや和紙人形を覚えました」 ◆日本舞踊を始めたのは、どういういきさつで? 「本物の日本舞踊を知らなかった当時、盆踊りを日本の民族舞踊と思っていました。それが大学に入った年、日本から来た藤間流の家元の踊りを見て驚きました。素晴らしい!自分も踊ってみたいと思いました。その後、クラスメートの日本人男子学生の父親が元歌舞伎役者だったと聞き、日本舞踊を教えてくれるよう頼んだのです」 ◆そして稽古を重ねるうちに、日本舞踊にのめり込んでいったと。 「はい!表現力の美しさに惹かれました。ひとつの踊りに物語があり、ただステップをふむダンスとは違い、動きに意味がある。難しかったし稽古は厳しかったけれど、先生に恵まれたと思います。彼は、日本の生活様式や浴衣の縫い方から教えてくれました。習い始めて7年目に名取の免状をもらったのを機に、本場で踊りを勉強したい、日本へ行きたいと思いました」 ◆日本での「家族」は踊りの師であった小西貞雄さんと、その奥様であった。 「そうです。彼らが帰国する時に一緒に日本に来たのです。最初は1年だけの滞在のつもりで、図書館長と幼稚園の先生の仕事も『1年だけ休職させてください』と言っていたのですが、それが、もう1年、もう1年…となり結局辞めてしまいました。来日後数年間は東京で、14年前から山武町で暮らしています。とても日本での生活が楽しくて、気づいたら20年経っていました。それも皆、家庭に私を受け入れてくれた小西さん夫妻のおかげです」 ◆キャスリンさんにとって、おふたりはどんな存在なのですか? 「年齢はひとまわりぐらいしか離れていませんが、私にとってパパ、ママという存在です。ふたりも私を娘みたいな感覚と言う。家族の一員と考えてくれています」 ◆毎年、ハロウィンには近所の子ども達にお菓子をプレゼントしているそうですね。 「はい。10年前から地元の人達に何かしたいと始めました。自分の国の行事を伝えると同時に、英語にも馴染んでもらえたらとハロウィンを。玄関に飾り付けをして夕方来るように言っておいた子ども達の訪問を待ちます。子どもが来たら英語で挨拶させてから袋に入れた手作りのクッキーを配ります」 実は、キャスリンさんが「ママ」と慕う小西さんの奥様とは、本紙7月31日号1面記事でご紹介した折り紙アクセサリー作家の小西しづ子さん。「子ども達にだけではなく、彼女は郵便局の職員さん達にも日頃お世話になっているからと感謝して、クッキーを焼いてプレゼントしているのよ。キャシーは現代の日本人が失ってしまった、ひとを思い遣るという心を持っている。今の日本人より余程日本人らしい心を持っていると思います」と話す。 (内田)
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