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NO.66

人形づくりが、悲しみの日々から私を救ってくれた。

睦沢町・関 昌子さん

  
 昨秋、長南町にある花菖蒲園『田園』の民家内の片隅に、素朴で温かい雰囲気を漂わせる人形が飾られていた。ひと目見て惹きつけられるものを感じた。
 作者は睦沢町に暮らす関 昌子さん(76)。そこで自宅を訪ねてみた。関さんが育てたシシユズを使ったゼリーや卵と寒天で作った羊羹、やはり手作りの梅ジュース等をご馳走になりながら、お話を聞かせて頂いた。

◆関さんが人形作りを始めたのは、どのようないきさつで?
 「主人、息子、母と立て続けに亡くし、毎日悲しくて泣いてばかりいたんです。そんな時、たまたま近所で年に1回、道路の草刈りをする道普請があり、人形作りをしている人が一緒にやらないって声をかけてくれたのです。4年ほど前でした。何か夢中になるものがあれば、悲しみも紛らわせられるのではと思い、人形を作り始めました」

◆それまでも何か作ることは好きだったのですか?
 「娘時代に和裁を習いましたが、結婚してからは忙しくて、それどころじゃなかった。まず、座っているって時がないくらい。税務署勤めをしていた主人がパン屋を始め、私も朝から晩まで仕事と家事、畑仕事に娘と息子を育てることに追われた毎日でした」

◆そのパン屋さんも閉めてしまったそうで。
 「ええ、主人が病気になり入院し、退院後も脳に障害が残って仕事はできなかったので、息子が店を切り盛りしていましたが、主人が亡くなって数年後、息子も病気で亡くなり、私もトシだし潮時だと考えて閉めました」

◆ご主人の介護は大変でしたか。
 「まだ57歳の時に手がしびれるといって病院に行ったのが始まりでした。検査入院、手術、入院となりましたが、病院にいてもこれ以上は良くならないと思い、自宅に連れて帰りました。物の名前も私の名前すら分からなくなってしまったのです。出る言葉は『バカ』だけ。障子を『開けてくれ』も『閉めてくれ』も何でも『バカ』。ショックでした。でも、主人はもともと働き者だったので、毎日、新聞の切り抜きや文字を書くことを続けていたらリハビリになったのでしょう。サツキの栽培に丹精込めたり、ハガキを書いたり近所の人に挨拶もできるようになりました。病院で寝たきりでいるよりも帰宅させて良かったと思いました。亡くなるまでの10年以上、家では寝付いたことは全くありませんでした。永い闘病生活ではありましたけれど、今思えば、あの頃が一番夫婦として楽しかった。病気になってから、すっかり優しくなっちゃって。私が風邪で寝込んでいれば、枕元までご飯を持ってきてくれました。それまでは私がつわりで苦しんでいても配達に行けというひとでした」

◆人形作りは、いつもお仲間と?
 「ふだんはそれぞれが家で作りますが、仲間5、6人が集まって作ることもあります。人形作りは、まず針金を入れたボディを作り、下着を着せて、頭、手、足はそれぞれ作り、胴に縫ってとめます。そして着物を着せるのです。着物は、ご近所で不要になったものをいただいてたり、自分のものを使ったりしています。布の人形は友達に教わりましたが、紙粘土の人形は自己流です。まだ分からないことがいっぱい。ただ私は布より紙粘土の方が面白みのある表情を作りやすく感じます。昨年、教育会館で展示販売し、売上金は福祉関係に寄付しました。今年は秋の文化の日に、公民館で展示会をやる予定です。今まで作った人形は40体位。ほとんど欲しいという方にお譲りしました。人形を差し上げる時は、娘を嫁に出すような気持ちになりますね。いとおしくて着物を余分に持たせたり、差し上げた後も、あの人形どうしてるかな?と思い冬になるから冬物の着物作って送ったりします」  (内田)
  


  



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