ねじ花 遠山あき
- 2013/8/2
- 市原版

ねじ花 遠山あき
本来は春の終わり頃、土手や野の道に咲くねじ花、本当の名は『文字ずり』という。古くから短歌などにうたわれている、昔から愛されていた野の花だ。子どもの頃は、道端のどこにでも沢山咲いていた。二十センチほどの細い茎に可憐なピンクの小花が茎を巻くように咲き登っていく。たおやかな小さい筒型のおとなしい花だ。そのやさしい風情が好きで、見つけるといつまでも眺めていたものだ。
ところがこの花、見かけは優しそうなのに気難しい花らしい。いつでも何処でも咲くかと思ったら、近年はとんと見かけなくなった。気温、湿度、陽気などが体質にあわないと芽を出さないのだ。去年はいくら探しても見つからなかった。もう絶えてしまったかとがっかりしていた今年、いつも通る道端の大木の下、草の中ですらりと茎を伸ばしているのを見つけた。本格的な暑さが始まった7月初旬のことだった。
「まあ、久しぶり!」思わず走り寄った。あ、その先にも、あそこにも!そよ風になよなよと細い茎を揺すって咲いているではないか。今年の気候がねじ花の体質に合ったのだろう。ここ四年ほど見かけなかったその間、花の根は踏まれたり草刈りをされたり、雪に覆われたり炎天に干されたりしていたのに、ねじ花の命はしぶとく眠っていた。この細い茎の根は黙々と地下で長い時間を待っていた。
長い眠りから覚めて花を開いたが、もし地球の環境が昔とすっかり変わってしまったら、ねじ花の命はどうなるのだろう。思えば知らぬうちに、多くの植物や生き物が地球上で生まれたり滅びたりしているのかもしれない。とすれば、この私だって地球の上の生物にすぎないのだから、ねじ花同様の『生』を与えられている。可憐なねじ花を見つめながら、果てしない宇宙の『ゆくえ』と自分の命の営みをしみじみと思ったのである。
でも、ピンクの可憐なねじ花は、香るともいえない微かな香りを漂わせながら、『今』の命を精一杯咲いている。心もとなく微風に揺れるねじ花に限りないいとしさを感じながら、私も明るい太陽の光を浴びて、『今』を精一杯に生きることにしようと思う。ねじ花よ、元気でいこうね!
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