絶対に負けたくない戦い
- 2014/6/13
- 市原版

文と絵 山口高弘
昼の牛丼屋は、つかの間の休み時間に胃袋を満たそうとする人でいっぱいでした。食券の自動販売機の前に列ができている。メニュー選びに手間取ると、後ろから冷たい視線を感じます。千円札を入れ、急いで選んで、僕は席に着きました。
隣では二十代のカップルが昼からいちゃついている。香水の匂いがする。シトラス系だ。外の街路樹の緑が風に揺れている。夏か。何の気もなしに財布を触って、僕は気づきました。財布が軽い。つり銭、取り忘れた!
食券の販売機の方を見ます。すでに列は進んでいて、僕の次に並んでいたはずの誰かも席に着いてしまっています。販売機は、自動的につり銭が出てきません。僕はきっと、『おつり』ボタンを押し忘れたのです。千円から注文した分を引くと六一〇円。僕が機械に残したつり銭で「しめしめ、ラッキー」と牛丼を頼んだ奴がいる。僕の次に並んだ人が犯人だ、誰だ。思い出せないぞ。
続々と注文の牛丼が運ばれていきます。大金じゃないからいいけれど、僕のおごりで食べている人がいる。犯人探しに興味が湧いて、心の中で『絶対に負けたくない戦い』が勝手に始まりました。目がぎらぎらした腕まくりの営業マン。やたら髪の長い、厚着の中年男性。いちいち髪をかき上げて食べる肉食系女子、いや、おなごは疑うまい。誰であれ皆大人ばかり。「つり銭取り忘れていますよ」と、僕の肩を叩いてくれれば良かったものを。…結局、犯人はわからずじまいで『戦い』には負けました。帰り際に僕をチラリと見て、走って出ていく男性もいましたが。
数日後のカラオケ店。年下の友人が歌っている途中で、僕はトイレに立ちました。部屋を出ると後ろからその友人が、廊下の僕を大声で何度も呼んでいます。
「先輩!落ちました!ポケットから、六一〇円!」
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