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ぎりぎりまで自分を追い込んだ勝負を糧に
- 2015/9/11
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東海大学1年 釘村雄介さん
市原市出身の釘村雄介さん(19)は、昨年度に市原市議会スポーツ表彰を受賞した。東海大学付属望洋高等学校3年に在学していた当時、射撃部でビームピストルの選手だった彼は、部内でも大きな存在感を表していたことだろう。「今は、東海大学に進学し、湘南キャンパスで建築について学んでいます」という釘村さんは、市原市に住民票を残していることから、千葉県に銃所持許可を申請中。ビームピストルと離れた今、がむしゃらに打ち込んでいた日々を振り返る。
「小、中、高校の1年までは、ずっと野球をやっていたんです。ただ、団体競技をする難しさに悩んだ時期もあって、個人競技に興味がありました。ライフル射撃は、珍しさもあって入部を決めました」。きっかけは些細なこと、そして、射撃は高校から始める人がほとんどだが、さらに1年遅れての入部。それでも、めきめきと頭角を見せた釘村さん。2年の秋ごろからは、県大会から関東大会へ駒を進めるようになっていた。自らを「高校に入学してからは、負けず嫌いの要素が増しました!スポーツに関してだけですけど」評するが、それは勝負師にとっては欠かせない条件。
望洋高校の射撃部には、ビームライフルとビームピストルがある。大きな違いは、ライフルが両手で銃を構えるのに対して、ピストルは片手で撃つこと。ほとんどの生徒がライフルを選択するのだが、釘村さんは、「人と違うことがしてみたかった」ことからピストルに。「ピストルは筋肉を使って、じっと我慢しながら撃ちます。結構向いていたのかな」と首を傾げ、射撃を通して変化したことは『精神的な強さ』だという。
穏やかに話しながら、時折笑顔を交える彼は、感情の多くを内に秘めるタイプなのだろうか。周囲も気遣うことで、「野球をしている時は、ミスをすると周囲の目が気になってしまった」というが、「ビームピストルは自分との闘いです。ミスをしても、自分の責任。初めは点数も取れずに順位が上がりませんでしたが、次第に気持ちの乱れが無くなりました。ただ、県大会だと余裕があっても、国体など大きなクラスになるとプレッシャーからか手が震えた」こともあったとか。だが、震えを消すように、さらに強く銃を握り締めて集中力を高めた。その成果か、今は嫌なことがあっても、プラス思考になれる力を身に付けた。
「自分なりにプレッシャーに打ち勝つ方法をなかなか見つけられなかったんです」と話す釘村さんを、強く支えたのは部活の監督や仲間たちだった。撃ち方の構えなどのアドバイスをくれるのはもちろんのこと、応援の時など特に顕著。集中力を乱すため、大会の会場では応援の声が聞こえることは少ない。ドアを開ければぴりっとした空気を感じ、45から50分かけて40発の銃を集中して撃つ。それでも、決勝戦など上位の戦いになるほど声援は飛ぶようになる。
そんな時。「同級生の女子で、同じように国体に行った子がいるんです。とてもしっかりした子で、みんなの声援に混じって怒号みたいな声が聞こえましたね」と思いだしたように笑う。射撃のフォームも点数配分も、すべて『感覚』でこなしていく釘村さんと、すべて『計算』しながら考えをまとめるその同級生は全く正反対の性格だが、切磋琢磨してきた。また、友達の輪を固定せずに幅広い人材と関われる彼の特性は、後輩にも友達感覚で接することで、いち早く距離を縮めることに役立った。ピストルをやっている部員は同学年に2人、後輩を入れると6人になる。1つの銃を回すために、練習時間を割り振るのもコミュニケーションを円滑にとらなければならない。不満が溜まって、リフレッシュのために仲間とキャッチボールをしたこともいい思い出だ。
銃所持申請の許可が下りれば、県営の銃練習場でプレーをしていくことになる。「どこかのチームに属して、国体に出ることが目標です」と話す釘村さんだが、簡単なことではない。それは、「普段から練習している、警察官や自衛隊の方がいるので強敵!」だからだ。だが、勝ち進んだ先に得られる『この先には強い人しかいない』という高揚感、パネルを見なくても的に当たったのが分かる爽快感。それらを得るために、釘村さんが再び的の前に立つ日も近いだろう。
問合せ 釘村さん
TEL 090-2458-3919
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