『正しい音』の再生に情熱をそそぎ続ける/戦前ブルース音源研究所 菊地 明さん
- 2013/1/15
- 外房版

耳に入ってきた途端、まるで魂を吸い取られるかのように魅了された音楽に、出会ったことはあるだろうか。市原市五井在住の菊地明さん(44)の心を奪ったのは、ブルースだ。菊地さんはギターを手にすると、軽やかにメロディを刻み始めた。
ブルースとはジャズやロックのルーツとして知られ、基本的な構成では12小節で綴られる詩が多い。内容は感情や日常的なもので、19世紀後半に米国深南部の黒人労働歌が発展したものと言われている。「ブルースに出会ったのは13歳、中学1年生の時。突然の病により当時2年9カ月間の入院を強いられた。そんな時ラジオから流れてきた音楽は、私を救ってくれた」と菊地さん。
初めはパンクに熱を注いだが、次第にジャンルの幅が広がっていった。音楽への憧れは、それぞれの成り立ちや過去の歌手を遡って調べなければ気が済まない。そしてブルースの中でもひときわ痺れたのが、盲目のギタリストであるブラインド・ブレイクだった。1920年代、ラグタイム・ブルース・ギターと呼ばれる彼の音は、戦前から戦後にかけて誰も再現出来ないというほど華麗な技である。菊地さんはその後、学校生活以外は一日中ギターに浸る日々を送ったという。
転機が訪れたのは高校1年生、以前五井にあったヤードバーズという喫茶店に通っていた頃だ。有名なミュージシャンが集っていたそこは、音楽を地域の人々で聴くという楽しさを持っていた。「早いテンポで甲高く歌う古いブルースに疑問を抱くようになった。音程がキーから大きくずれているし、曲中の前後でテンポが違ったのもある。レコードの後半でスピードがアップテンポになることについて、評論家は感情が高ぶった、適当に弾いているなどの意見を述べることがあったが、それは違う」と菊地さんは熱く話す。
テンポの乱れは奏者ではなくレコードにあるのではないかと目を付け、原因を探ろうと決意。20歳を過ぎ、実家の自転車専門店に勤しむ傍ら音楽活動を続け、『戦前ブルース音源研究所』を立ち上げた。活動目的は、作られてきた音楽史の間違いを正すことである。レコードは音の溝を針で記録することによって作られる。限られた盤面で音圧を高くするには溝の間隔を広くするが収録時間が短くなる。狭くすれば隣の溝に干渉し低速回転が必至だった。
菊地さんは、「当時の録音にはハーフステップマジックというものもあり録音回転数を遅くした。それを78回転で再生すると半音上がり、耳がいい人でさえ騙すことが出来る技術である。当時のエンジニアが意図したマジックだが、現代ではそれらを含む『はやまわし』で誤って再生されている音楽があるのだ。これを正したかった」と続ける。錘(おもり)での回転動力やゼンマイ式モーターでのレコード録音機の研究、ギター寸法やレコードの溝間での緻密な計測を繰り返した。そして、ブラインド・ブレイクの研究家、及び演奏者としてアメリカでも認められ2008年招待を受けた。
音楽はピュアであるべき存在で、文化の継承としても本当の歌声をさらに突き詰めていくと決意する菊地さんの部屋に飾られた80~100年前のギターは40本を超える。当時の音や残された写真のサイズを確認するために収集した。「これから、古いブルースやジャズを知りたい・学びたいという人たちへの贈り物。誤った文化の継承はいらない。彼らが残した素晴らしい本当の演奏を感じて欲しい。そして、バトンを次の世代に渡していきたい。
まだ色々研究したいことはあるが、最後は純粋にミュージシャンとし生きていけたらいい」と話す菊地さんの活動は、『戦前ブルース音源研究所』のホームページで更新中。戦前ブルースマンの生い立ちや修正された音楽が聴ける他、ヴィンテージギターやレコードも掲載されているので懐かしい気分になれるかも。(松丸)
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