ハーマン号海難事故と日本人の心
- 2013/12/20
- 外房版

ハーマン号海難事故と日本人の心
明治2年2月に勝浦市川津沖で悪天候のために座礁した米国船籍蒸気外輪船ハーマン号の乗組員たちを救った日本人の活躍を広く知ってもらおうと、勝浦市在住の海事補佐人、大野幹雄さん(70)は3年前に『ハーマン号を世に出す会』を立ち上げた。海事補佐人とは海難審判で操船技術などについて受審人の主張を代弁する専門家のこと。「事故時は漁船を出したり、火をおこして遭難者の身体を温めたりなど地元住民は懸命の救助活動をしたと聞いております。結果、145人の藩士と58人の米国人が一命をとりとめました。この歴史的美談を一人でも多くの日米両国民に知ってほしい。日米の友好親善に役立つものと考えます」と大野さん。当時の船長の手記によると、船上の藩士は沈着冷静で、司令官の命令無しで船を離れる者はなく、上陸して海岸沿いを歩いた折にもあらゆる場所で人々の親切さに出会ったと書かれている。
ハーマン号は戊辰戦争中、北海道に立て篭った旧幕府軍榎本武揚討伐のために藩士、軍事物資などを熊本藩が津軽藩に輸送するために用船した黒船。現在の東京湾を出港した同船には80人の米国人乗務員と350人の熊本藩士などが乗船していた。
昭和44年に同市の海の見える高台に官軍塚が建てられ、毎年8月には供養際が行われている。平成24年2月からは日米合同慰霊祭を開催するに至ったが命を落とした米国人船員の埋葬場所は確認されていないという。
大野さんは書画家(雅号は大野興風)としても活動しており、勝浦市にある海の博物館で昨年に行われた海のアート展『鎮魂の官軍塚』では、同事故における遭難者への慰霊の気持ちと日米の魂の絆を書画で表した大野さんの作品を初め、アート愛好会『白沙の会』から多数の創作品、短歌結社『覇王樹社』同人の高橋美香子さんが詠んだ短歌などが展示された。
元外国航路の船長でもあった大野さんは現役時代に休暇を利用して茶道・陶芸・書・絵画など多岐に渡る日本の伝統芸術に触れてきた。その中で最も長く続けてきたのが書画。自宅の壁には、心の中にあるものや頭に浮かんだイメージを躍動感のある文字と空間で表現した書画が至るところに飾ってある。「幼少からの長年の積み重ねがなくても、自由な発想と偶然性によって味わい深い作品が出来上がるのが書画の面白いところ。自分なりに様々な技法を融合させて創作しています」と笑顔で話した。
問合せ 大野さん
mxwqp187@yahoo.co.jp
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