恩師の万年筆

遠山あき

 私がものを書き始めたころは万年筆で書いていた。沢山書くようになると素人だから鉛筆で書いた。消しゴムで消すことができるからだ。何本も削って並べて置いて、減ると次々と取り替えて使ったものだ。
 しかし、文学の師といえる故恒松恭助氏はいつも添削には万年筆をお使いだった。独特の癖のある文字で原稿が真っ赤になるほど赤ペンで訂正される。「恐怖の赤字」などと陰口を言ったものだ。稲毛の浅間さまの松林の中に先生のささやかなお住まいはあった。家中が書架で一杯だった。やがてお年も九十を過ぎられて市川の邸宅に移られた。市川から千葉まで電車で私達の指導に通われるのが大儀になられ、遂におやめになった。我々にとっては心細く残念なことだったが、やむを得ず独り立ちに踏み切った。以来、先生が名づけてくださった『槙の会』は、ヨチヨチ歩きながら別の師を求めずに二十九年。同人誌『槙』は年に一度で三十七号になる。こんなに長く続く同人誌は珍しいそうだ。同人誌は三年の命と言われている。
 ある日、先生から小さな荷物が届いた。「何かしら…」恐る恐る開くと皮のケースに入った立派な金ペンの万年筆だった。高価なものだろうと私は思った。しばらく無言で見つめた。「僕の使い古したペンです。記念に」としか書いてない日本紙が一枚。今はもうペンを使わず、おぼつかないもののパソコンで打つ私だが、この万年筆は貴重な『戒め』になる宝物だ。先生は早稲田文学会に属し、『私小説』の優れた書き手であった。「僕は弟子を持たない主義だ」と仰る。でも「文章は口先だけの紛い物ではいけません。心から湧き出す清い泉でなければならない。自分のホンネを吐露した生きた表現であることです」と教えてくださった。
 幽冥境を異にする先生ではあるけれど、ふと思い出しては自分を戒める。そして、折に触れてはこの遺品の万年筆を出して見つめる。まだこれで文字を書いたことはない。ほんものが書けているのかどうか、我ながら自信がなく、先生に叱られそうで書けないのだ。私の未熟さを監視しているように思えて、怖い。不肖の弟子というべきか。私ももう九十七だ。生きている間にこの万年筆で作品が書けるだろうか。自信がないままに老いてしまったが。

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