日本のために命を捧げた『烈女 畠山勇子』 遺愛の雛人形&つるし雛~観音寺(鴨川)で、2月27日~3月5日『ひなまつり』開催~【鴨川市】

 コロナ禍で中止していた観音寺(鴨川市)の『ひなまつり』が3年ぶりに開催される。慶応元年(1865年)、現在の鴨川市に生まれ日本のためにと自刃した烈女(行いや精神が強く、自分の信じた道を最後まで貫く女性)の雛人形とともに、手作りの『つるし雛』が飾られる本堂には、檀家を問わず、県内外から多くの人が訪れる。

日本に大激震「大津事件」

 およそ130年前の明治24年。各国との不平等条約の改正も果たせないままの小国・日本に、当時、世界に誇る強国・ロシア帝国のニコラス皇太子(後のニコライ二世)が訪問した時のこと。一行が滋賀県大津を通過中、「毛唐め!神国我が国から消えろっ」と沿道警備の巡査が突如、サーベルを抜き皇太子の頭部を斬りつけた。日本中を揺るがした『大津事件』である。傷を負った皇太子は、見舞いに訪れた天皇陛下が引き留めるも、そのままロシア軍艦で帰国の途につく。

 鴨川屈指の資産家に生まれ、その頃の日本女性にはない教養と進歩的な思考を持っていた畠山勇子は、天皇陛下が心を悩ませていることを深く憂慮し、ロシアの感情をやわらげ国交に悪影響が及ばないようにするにはどうしたらよいかと必死に考え「身分の低い者が大事を動かすには、死より他にとるべき道はない」と自刃を決意。

 ロシア帝国、日本政府、家族宛に10通の遺書を書き、東京から列車で京都へ。人影が絶えた夕刻、京都府庁の門前に白布を敷いて、床屋で丁寧に研いでもらった剃刀で咽喉を引き裂いた。

 時に勇子27歳。剃刀が手から滑り落ちないよう細紐でしっかりと結び、また、取り乱した死に姿をさらさないよう絹帯を胴回りにしてくくり、揃えた両膝をしっかりと結んでいたという。

 勇子の亡骸はその夜、京都市下京区の末慶寺に運ばれ、手厚く葬られた。日本をこよなく愛したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も墓を訪れ、明治27年『勇子の追憶』を出版。

義商の叔父から贈られた雛人形

抹茶と桜餅による住職のお手前は拝観者の1つの楽しみ。今年はコロナ禍を考慮して実施未定

 亡くなって間もなく末慶寺より分骨され、観音寺に勇子の墓が建てられた。昭和15年には五十回忌を迎えるにあたり勇子の弟、鴨川国防婦人会・地元有志の協力で顕彰碑建立。そして昭和33年、勇子の父の実家(南房総市)から雛人形が奉納された。勇子の初節句を祝い、叔父・榎本六兵衛(通称・大黒屋六兵衛)から贈られた雛人形である。

 ところで、列女たる勇子の気質はこの叔父からつながるものと見られる。

 畠山家の跡を継いだ姉(勇子の母)夫婦とともに家業を盛り立てていた六兵衛(鴨川時代には畠山常吉といった)だったが、広く世に出て自分の一生を試してみたいと上京。『大黒屋大六』の奉公人となって働くうちに旦那の六右衛門に気に入られ、一人娘と結婚して全てを任されるように。やがて、莫大な資産と人脈を有する豪商となり全盛期には三井をも凌ぐ第一人者として全港に名を響かせた。東京・深川の2万坪の屋敷には、有栖川宮、天璋院も出入りしていたという。

 時代は幕末維新期。文久3年(1863年)、「外国を知るため人材を海外に派遣する必要がある」という長州の村田蔵六(後の大村益次郎)の懇願で、六兵衛は船を手配し、一人千ドルずつを手渡し、伊藤博文、井上馨ら5人をロンドンに密航させた。さらに、江戸城における会見では西郷隆盛に見込まれ、後に、西郷の命を受けた黒田清隆の度重なる懇請に応じる形で北海道開拓事業を引き受けることになる。

 どの財閥も避けていた同事業を周囲の反対を押し切って引き受けたのは、義侠心に他ならない。しかしながら、西郷の下野後、全力を傾け開拓事業を推進した甲斐もなく政争の渦に巻き込まれ、大損害を被った挙句、国によって全財産を没収され、一商人は歴史から消された。

 ちなみに、5人を密航させる以前、吉田松陰が平賀で密航を試みて失敗し、投獄された。鎖国の禁令を破り見つかれば大罪となるのは明らかであり、それにも関わらず六兵衛が手を貸し決死の覚悟で5人を送り出したのは、国のためならば命や財産がなくなってもいいという稀代なる精神から。純公無私の叔父を崇拝していた勇子が少なからず感化されたことは、想像に難くない。

多くの人に勇子のことを知ってほしい

観音寺のひなまつりには、地元の幼稚園児がミニ遠足として毎年訪れる

「今では畠山勇子の名を知る人は、少なくなりました。多くの人に勇子のことを知って頂きたい」とひなまつりを開催する観音寺の住職・森谷義眞さん。勇子の雛人形を囲むように、ご詠歌衆や有志の方々、寺庭婦人が手作りした『つるし雛』が平成17年から加わり、本堂を賑やかに彩る。

 観音寺は真言宗智山派の寺院。慈覚大師円仁(794―864)の開基で永徳年間(1381―1384)に中興開山と伝わる。四季折々、明るい境内には花の香が広がり『四季を感じるお寺』として、春には桜が見事に咲き誇り『花まつり』も地元の人々の楽しみのひとつとなっている。

 今年のひなまつりは2月27日(月)~3月5日(日)。拝観時間は9時~17時で、毎日13時より御供茶付追善法要を厳修し、勇子の遺徳を偲ぶ。「皆様方のご来山を心よりお待ち申し上げております」と森谷住職。なお、観音寺から1・5㎞程の距離には、1万坪の土地に菜の花が咲き誇る『菜な畑ロード』が同じ3月5日まで展開されている。

※参考文献 小幡治枝『華の栖―畠山勇子と加藤りん―』コアブックス 2013年発行

 

問合せ:観音寺

鴨川市横渚1133(JR安房鴨川駅・徒歩3分)

Tel.04・7092・3540

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