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人を育む生命の体操 できた喜びを分かち合う戸田体育
- 2016/2/19
- シティライフ掲載記事, 市原版

マット、鉄棒、跳び箱など器械・器具を使った体操や徒手体操を通じ、児童一人ひとりができた喜びを味わう体育学習に取り組む戸田小学校。体操の指導法やカリキュラムはたびたび他校やマスコミなどにとりあげられ、昭和33年と平成元年に全国学校体育優良校として表彰された。さらに今年度は全国学校体育研究会で105校のなかの4校の最優秀校として選ばれ文部科学大臣賞を受賞した。86年間継続して体育研究を行ってきた功績が評価されたという。同校の校歌にはオリンピック発祥の地アテネの名が盛り込まれている。
取材日、6年2組の担任の風澤勇人教諭(29)の号令とともに子どもたちは腕を曲げたり、体側をのばしたりしていた。準備体操ですら手足の隅々に神経が行き届き、きびきびとした動き。授業は助走して倒立し、背を反り、足をついて起き上がるという難しそうな前方倒立回転跳びの練習。子どもたちは4グループに分かれ、それぞれ段差の違うマットで自分ができる技を繰り返した。「脚が曲がっているよ」、「膝の力が抜けているから締めてみたら」などお互いに補助をしながらアドバイス。「できないよ」と自信なさそうに言う男の子に、周りからは「できるできる」と励ます声が飛ぶ。男の子が2回連続技に成功するとみんなで喜び合っていた。自分が目指した技ができるようになると授業の最後に同級生の前で演技をする機会が設けられている。技を披露し、拍手をもらった林君は「できて嬉しい。友だちに教えてもらったからできた」と照れたように話した。
このような高度な技ができるのも入学当初から少しずつ鍛えてきたから。子どもたちは学年ごとに成長に合った体操を小さなステップで習得する。風澤教諭によると「競い合うのではなく、一人ひとりが自分の目標を目指すので「できた喜び」を体験できる。運動が苦手でも嫌いな子はいない」そうだ。体を動かす遊びは日常化しており、「校庭の鉄棒はツルツル」
あわせて同校の体育を支えるのは地域の力だ。卒業生が中心となって体育研究会や運動会を盛り上げ、ボランティアで『戸田体操クラブ』も運営する。同クラブは毎週土曜日に体育館で、午後7時半から幼稚園児から中学生、8時半から大人のために練習会を開く。学外からの参加もあり子どもは100人以上、大人は20人ほどになる。クラブで育った子どもが大人になって指導者として参加したり、子どもに付き添っていた母親が小学生時代を思い出し再びはじめたりと層は厚い。
「教えることは学ぶこと成り」を合言葉に教師も同クラブに参加する。飯田ちひろ教諭は「赴任当時できなかった倒立ができるようになった」と嬉しそうに話していた。会長の永野良作さんは60代。「幅広い年代の方が無理なく行える、体操のおかげで具合の悪いところがない。人のつながりも生まれる」と溌剌と語った。
昭和初期に不況や関東大震災により疲弊した戸田村再生のため、当時の伊藤貞蔵村長をはじめ地域住民が「豊かな情操の育成は心身が健康な人づくり」とはじめたのが体育を基礎とした学校づくり。昭和3年頃より体操練習会が始まり、体育公開研究会は昭和5年の第1回から、欧米の手法を取り入れた体操が敵視された戦時中も含め、毎年開かれてきた。
昭和23年、戸田小中学校の卒業生15歳から19歳までの14名が参加した第3回国民体育大会では全国第3位を獲得した。まだ戦後の混乱期、村をあげて福岡への遠征に必要な物資を調達したそうだ。同じころ『戸田体操クラブ』もはじまった。同大会に出場した影山良二さん(86)は70代後半まで同クラブで教え、今は木の刈り込みなど学校の環境整備を手伝う。「平衡感覚があるからハシゴから落ちたことはない」と胸を張る。
庄司彰校長(55)は「教師は一生懸命学び、教え、子ども同士は教えあっている。地域の方たちが伝統をつないでくれている」と校長室に飾った当時の国体の賞状と写真を誇らしげ見せてくれた。やればできる喜びを知る子どもたちが体得した健康な体と心は、大人になっても生涯を支える生きる力となり、地域をつなぎ続けていく。
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