ソフトテニスに引退はない
- 2013/3/1
- 市原版
ソフトテニスに引退はない
選手・指導者・役員と多彩に活躍 大川 京子さん
澄みきった青空に緑のコート。眩しさに目を細めながらラケットを強く振る。テニスボールが、相手コートのエンドラインを駆け抜けていく。次の打球を予測して待つのは、大川京子さん(66)だ。この日、大川さんと一緒にソフトテニスに励むのは、市原エイティクラブのメンバー。1月下旬、千葉県は何度も雪が降るほどの寒さが続いたが、コートの中のメンバーはそれを微塵も感じさせない。「ソフトテニスは生涯スポーツで、男女問わずいくつになっても誰でもできる。学生時代に経験者だった、全くの素人だけど運動したいなど興味のある方は一緒にテニスをしませんか」と明るくハキハキした口調の大川さん。
ソフトテニスは日本で生まれ育った伝統ある大衆スポーツで、現在も中学校と高等学校で最も多く採用されているという。市原エイティクラブという名前の由来は1980年代に創られたことで命名、すでに30年間も活動を継続した歴史をもつ。中学からテニスを学び、高校総体で実力を発揮して実業団でも活躍。一時は結婚・出産等で遠退いた時期もある。が、全日本レディース都道府県大会発足により千葉県予選を突破、千葉県代表となったことを機に再出発。市原市強化を目標に市の仲間と市原エイティクラブを発足した。
「ソフトテニスと硬式テニスでは、かなり違う。ボールは空気調整を必要とし、ラケットの握りや試合の進め方も。ボールは軽いので風に大きく左右され、腕の振る力加減が試される」と、大川さんはいう。難しいからこそ挑戦したくなる!そんなオーラをまとった大川さんは、これまで数々の試合で結果を残してきた。過去の大会では国民体育大会優勝、全日本シニア選手権大会優勝、東日本・関東選手権大会優勝など。最大の喜びは、台湾で行われたシニアアジア大会の優勝でメダルと楯は宝物。
現在は、(公財)日本ソフトテニス連盟理事、日本レディースソフトテニス連盟会長として全国をまとめ、千葉県、及び市原市レディースソフトテニス連盟会長、市原市体育協会理事、スポーツ講師などなど数多の役職に就いてソフトテニスの活動に従事している。それらの活動が認められ、昨年10月には『市原市 ソフトテニスの普及活動に貢献した』として市原市表彰を受賞した。そして、「大会で優勝出来たのもテニスを続けてこられたのも、家族が応援してくれたから。また、仲間の存在も欠かせない。ダブルスの良さは励まし合えること。お互いがミスをするけれど、目標が同じならば戦う姿勢が似てくる。スポーツを通して、人の気持ちを理解して思いやりの心が持てるようになる」と続ける。
コートで会うと明るく挨拶をして笑い声が飛び交うチームを見ると、メンバーの快活さがよく表れていた。様々な職務を全うできる力は大川さんの長所だろうが、それは彼女の『なんでも自分で始めてみなければ進まない。一歩踏み出す決断力を持て』という信念があるからこそ生まれるものかもしれない。大川さんは、「今も様々な企画を考案中。全日本個人戦では80歳以上の種別を設け全国から93歳の最高年齢者(香川県)をはじめ30名以上の参加を得、老女のパワーを頂き祝福と健康を全員で祝った。市原では全日本女子監督・選手による講習会を開催して技術向上・などの普及活動を行っている。試合方式でも、レベルごとで振り分けたことで各々の差をなくしてみた。結果、とても白熱した戦いをすることができた。試合では、勝敗だけではなく初心者やまだ上達できていない人もいかに楽しんでもらえるか、喜んでもらえるかが鍵になってくる。今後はこのクラブも自分達が楽しむだけでなく、市原市の中心的な立場を念頭に持った上で選手として継続出来る次世代を育て、後に続く指導者育成もする必要がある」と真剣な視線をコートに向けた。
大川さんは市原市が主催するソフトテニス教室(前期・後期とも各10回)で講師としても奮闘。市原エイティクラブは20代~60代の年齢が幅広く所属しており、毎週火曜・木曜11時~15時まで臨海第一オムニコートで練習を行っている。