いただいた蚕の命を再び輝かせる
- 2014/4/25
- 市原版
布絵作家 伊藤 朱(あかね)さん
市原市古敷谷の古民家に住む布絵作家伊藤朱さん(36)を訪ねた。庭には木に漁の定置網に使うガラスの浮き球がいくつもぶらさがり、床の間のある座敷には縁側から入る柔らかな光が伊藤さんの作品を照らしていた。
伊藤さんが布絵を作りはじめたきっかけは年の離れたご主人が収集した明治から現代にいたる着物だった。ものづくりの経験は特にない。22歳で結婚してからはずっと専業主婦で「針仕事は子どもの洋服を作る程度」。衣装ケースにしまいこまれたままの古布に光を当てようとしたのは8年ほど前。「本当は切り刻みたくなかった」がジーンズや上着に縫い付けたり、小物を作ったりした。蚕を育て、繭から糸を取り、紡ぐ、染める、織るという作業を経て親から子へと代々受け継がれてきた絹地。「蚕の命と作り手に思いをよせ生き返らせたい」との思いがあった。しかし、再生した身の回り品はいつか消えてしまう。「いつでも見ることができ、いつまでも残しておくことができる」と思いついたのが表と裏に異なる図案を配する布絵の壁掛けだった。
テーマが決まると構図を何枚もデッサンし考える。型紙が用意できたら、部屋中に着物をひろげ、「取りつかれたように選ぶ」。帯地や薄物などさまざまな質感と古着ならではのゆがみやたるみのある生地を切り、曲線で縫う労作。「裏地の八掛、羽織の紐など全てが愛おしく捨てたくない」と残り布で小物類も作る。あえて表からは見えない部分に鮮やかな柄を使うそうだ。
作り始めると知人や友人から声がかかり、イベントやコンサートなどで紹介されるようになった。遠くオランダに渡った布絵は30点以上。古布に新たな命を吹き込んだ作品を見て涙する人もいたという。2012年にはNPO法人『上総掘りをつたえる会』の記念講演会で開かれた歌手ミネハハさんによるコンサートの舞台背景にも使われた。佐倉市で一週間ごとに表裏のディスプレイを変える小さな展示会を開いたこともある。木更津にある書店のサロンで開かれた琴の演奏とお茶の会で舞台装飾として披露したときには蓮の花を描いた布絵を「必ず購入するから」と約束し帰った女性がいた。ご主人を亡くしたばかりで「散歩のときの空に浮かんだこの世のものとは思えない美しい光景と同じ。主人がいる世界のよう」と話していたそうだ。今年2月には茂原カウンセリング・セミナーハウス『ひかりの泉』で自作の横笛奏者福井幹さんとインド古代楽器サントゥール奏者宮下節雄さんのジョイントコンサートを飾った。
山梨の法人から愛と喜びをテーマに制作してほしいと依頼を受けた絵のタイトルは『南アルプスの恵み』。「山々の育んだ水が人々や生き物に恵みをもたらし、花言葉が『清らかな心』という蓮と『愛』というバラを咲かせた」。裏側の『不老長寿』は「折鶴には平和への祈り、桃には永遠の命、空の毬には子どもたちの姿を重ねた」と一つひとつの図像に象徴的な意味をもたせる。もともと吉祥模様が多い和服を切り取り、組み合わせるのでさらに華やか。再構築したデザインは愛らしく斬新。しかも安らぎと癒しを与える仏教の極楽浄土や瞑想の世界を思い起こさせる。
楽器シリーズ『弾けば響く』では尺八や三味線がモチーフ。陽気な音楽から生まれたエネルギーを光の玉で表した。「言葉にできない思いを表現する。見た人が明るくなり、幸せな気持ちになってほしい」と願い、環境破壊、戦争、原発、災害など外界の出来事に心を痛めできた作品ですら、極彩色の花や魚たちで埋め尽くす。
パイロットの父と市民活動家の母を持ち、子ども時代は東京近郊の街で育った。よくキャンプに行き自然の中で過ごしたのを覚えている。ご主人はシンセサイザーを駆使し、安らぎをテーマに心の音楽を作曲するミュージシャン伊藤詳さん。ふだんはあまり外出せず、布絵作りをして一日を過ごす。人と接するよりも、こつこつと物を作る方が好き。規模の大きな個展をとの依頼もあるが、「まだもう少し」と断っている。絵を語る言葉が豊か。内側から明るい光を放っているような佇まいの人である。 (荻野)
問合せ 伊藤さん
ryhhy865@yahoo.co.jp