天平のロマンを歩くガイドツアー
- 2014/6/6
- 市原版
「全国60数カ所ある国分寺跡のなかで全容がわかっているのは上総だけ。広さは僧寺が全国3位、尼寺が全国1位」と学術的にも第一級の価値がある市原市の史跡について説明したのはガイド役の山本勝彦さん(70)。4月23日、観光ボランティアガイド『かずさのくに国府探検会』が『国分僧寺、国分尼寺の実像を求めて』というツアーを催した。
集合場所は市役所1階ロビー『七重塔』のレプリカ前。山本さんが七重塔建築時の背景や工法を解説し、「国司として聞いて下さい」と奈良時代の国家プロジェクトである国分寺建立を命じた聖武天皇の詔(741年)を読み上げ、参加者20名を天平の世界に誘った。
市役所を出て、市民会館ホールと会議棟の間を抜けると広々とした草地にでる。そこが国分僧寺跡である。かつては塀で囲まれ、仏像を安置する金堂院など主要な建物があった伽藍地で国指定史跡。草地ほぼ中央に寺社林に囲まれ、江戸時代に再興された薬師堂の屋根が見える。
発掘調査後、住宅地となった寺院地全体は「実務を執る建物や薬草の栽培地などがあり、北は総社幼稚園付近から南は総社2丁目付近」と聞くと広さを実感する。薬師堂方面に歩き、左手1メートル弱の高さに盛土してある場所が七重塔跡。山本さんが両手を広げ「10階建ての市役所より高い」と話すと参加者たちは想像を廻らせ天空を見上げた。現在残るのは塔の中心柱をたてた心礎という礎石、四方にたつ四天柱の礎石3点、12本の側柱のための礎石2点。
寺は2度炎上した。今は跡形もないが伽藍地南側と住宅地の境に南大門、近くには火災の廃材を捨てた大穴もあった。南大門付近から伽藍地南西角のT字路に出て左折。墓地を右折し、石垣を時計回りに辿ると南田瓦窯跡と神門5号墳の案内板がある。寺院地は南西の古墳群、北東の谷を避けて造営されたという。
再び国分寺跡にもどり、西門の柱列跡の復元地へ。右手の『将門塔』隣には塔の心礎と同じ大きさと石質の礎石がある。上に後世の石塔が建つが、「なぜここにあるかは謎」だそうだ。古代の鐘楼基壇を利用して造られた仁王門をくぐると左に本堂、正面に薬師堂が建つ。右手の雑木林のあたりが金堂院跡地であるが、南側に小さな標示板があるのみ。再び市民会館を通り、市役所裏手の国分尼寺へ歩き、職員から説明を受けた。
同会は昨年11月に代表の前田房穂さんが「いまだ特定できない国府にロマンを感じる。市原のお宝を広めたい」と立ち上げ、市原市初の千葉県公認観光ボランティアガイド団体となったばかり。とはいえ、すでに会員8名で市内外の団体も含め約200人を案内した。右記Bコース(約2キロ)のほか、「阿須波神社から古代道を眺めるとワクワクする」というAコース『まぼろしのかずさ国府を訪ねて』(約3キロ)も人気。同会名のホームページ有り。
問合せ 前田さん
TEL 0436・21・8088