甌穴(おうけつ)の石

遠山あき

 昨年四月下旬の夕方のことであった。日頃親しくしているTさんが長靴に懐中電灯を持って「夕方になってすいません。甌穴の中にある小石が欲しいので、ご一緒して頂けますか」と、遠慮がちにやって来た。
 養老川の川床には甌穴(ポットホール)がたくさんある。長い年月に渉り川が流した土が堆積した川岸や川底は、砂岩(砂の堆積した岩)、粘板岩
(粘土が堆積した岩)、礫岩(礫混じりの砂岩)等の軟らかい地層で作られている。その軟らかい土質を削って水は流れる。大雨の後には流水が川底を削って、そこには大小さまざまな甌穴ができた。何か障害物があって流れが阻まれた時、そこに小石でもつかえたら一カ所をグルグル回って周りを削り、円形の窪みができる。それがいわゆる甌穴だ。落ちた小石が甌穴の中に残されていることが多い。Tさんの欲しかったのはその甌穴の中の小石だった。
「何になさるんですか?」ときくと、「僕の曾孫ですが、待ちに待った男の子なんですよ。丈夫な子に育ってほしいと、それが七十五歳の僕の悲願なんです。僕の故郷では、甌穴の中で削られ揉まれ鍛えられた石のように逞しく育ってほしいと願い、その子の一歳の誕生日にその石を背負わせて、一歩でも歩けば願いが叶うという慣わしがあるのです。実は今日その祝いの日だったんですが、つい仕事にかまけて遅くなってしまい、遠山さんにご迷惑をかけました。しかしこうして石が手に入りました。ありがとうございます」
 Tさんは、いとしそうに拾い上げた小石に頬ずりした。私にも曾孫は居る。でも、その慣わしは初めて聞く、この房総にはないものだった。Tさんの故郷は確か九州だ。向こうではそういう風習があるのだろう。嬉しそうに甌穴の石に頬ずりするTさんの姿に、私は胸がジーンとした。各界で立派な仕事をしているTさんの、率直な願望に私は打たれた。
 今年のTさんからの賀状に「お陰様で曾孫はすくすくと丈夫に育っています」と添え書きがあって、私は嬉しく何度も読み返した。甌穴には、今年もまた新しい小石がつかえているだろう。自然の戯れで、人知れず小石はやがてまた流れ去ってしまうのだが……。

関連記事

今週の地域情報紙シティライフ


今週のシティライフ掲載記事

  1.  市原市姉崎小学校を拠点に活動している剣道『錬心舘市原道場』。設立は1987年と長い歴史を持ち、小中学生を中心にこれまで数多くの卒業生を育て…
  2. 【写真】本須賀海岸(当写真は特別な許可を得て撮影しています)  マリンアクティビティのイメージが強い九十九里エリア。成田国…
  3.  マザー牧場(富津市)では、2~3月が羊の出産シーズン。今年は約20頭が出産。第1号は2月22日に生まれた品種「サファーク」の女の子。黒い顔…
  4.  鉄道写真愛好家の皆さんへお知らせです。今年6月6日(木)~6月11日(火)に開催予定の『小湊鐵道を撮る仲間たち展』に写真を出展いただける方…
  5.  新芽が出始めた春の里山を散策してみた。葉の色や形、大きさなど種類の多さが感じられる。葉の多様性といったところか。  そんな中で高い木の枝…
  6. 【写真】チバニアンガイドの皆さん  2020年1月、市原市田淵の地磁気逆転層を含む地層『千葉セクション』がGSSP(地質年…
  7.  前回、近い将来起こるであろう世界的な食糧問題について書きましたが、多くの学者は、私達が生き延びるには人間が何万年と育んできた古来からの農法…
  8. 【写真】『音楽堂in市原《私の十八番》ガラコンサート』にて。ヴァィオリン・川井郁子さん、ピアノ・熊本マリさん  市原市市制…
  9. シティライフ編集室では、公式Instagramを開設しています。 千葉県内、市原、茂原、東金、長生、夷隅等、中房総エリアを中心に長年地域に…

ピックアップ記事

  1.  市原市姉崎小学校を拠点に活動している剣道『錬心舘市原道場』。設立は1987年と長い歴史を持ち、小中学生を中心にこれまで数多くの卒業生を育て…

スタッフブログ

ページ上部へ戻る