人の心が生み出す「妖怪」

『夷隅地方の妖怪伝説』編著、齊藤弥四郎さん

 長年に渡り、地元における民話の研究と収集を重ねてきた夷隅郡御宿町在住の齊藤弥四郎さん(64)。2006年に立ち上げた『夷隅民話の会』メンバーの協力を得て『夷隅地方の妖怪伝説』を昨年秋に自費出版した。(編著・発行『夷隅民話の会』)同会のメンバーは20名。大多喜町の中央公民館を拠点に、地域の言い伝えを『大多喜町民話さんぽ』、『夷隅むかしむかし(現在全七集)』などの冊子にし、語りや読み聞かせ、紙芝居などで発表する活動に取り組んでいる。
 齊藤さんが民話の虜になったきっかけは、幼少の頃にまで遡る。出身は福島県南会津郡檜枝岐村(ひのえまたむら)。冬になると2メートルほどの雪が積もる日本有数の豪雪地帯だ。「今と違って、パソコンもテレビゲームもないですからね。外に出られない冬の間は祖父母から昔話を聞くのが楽しみでした」と振り返る。方言を使った祖父母の語り口が今も心に残っている。特に印象に残っているのは『三枚のお札』。小僧が山へ栗拾いに行き、山姥が扮する老婆の家に泊まることになるが、その正体に気づいた小僧は逃げ出す際にお札の1枚を便所に貼り、山姥に呼ばれたら自分の代わりに返事をするようにと願をかける、というのが全国的に知られている話だろう。ところが、齊藤さんが祖母から聞いた檜枝岐村の『三枚のお札』では、お札を貼ったのは便所ではなく、便所の傍らにあったコシキと呼ばれる木製の雪かき板だったという。山姥が、便所に入った小僧に「もういいか」と聞くとお札が「まあだだよ」と答える、そのやり取りが大好きだったと当時を懐かしんで話す。
 幼少の頃から民話に慣れ親しんできた齊藤さんが「子ども達に地域の民話を伝えたい」との思いから、夷隅地方の民話を収集し始めたのは同地方の小・中学校で国語の教師をしていた時。40年ほど前の話だ。町史に掲載されている言い伝えをもとに現地へと足を運び、地域の人から話を聞く。ところが詳しい話を知っている人は現実にはそういない。知っていたとしても、何がどうしたと一行で事足りるほど断片的な内容のみ。「他人が興味を持って聞いてくれるように、地域の人から聞いた短い話を繋げながら想像を膨らませ、はじめ・中・終わりのある話を作ることにしました」。石神地区の神社境内にあった、大きなモチノキに上った若者の足がしびれてしまったという『石神モチノキ』(『大多喜町民話さんぽ』に収録)もその一つだ。
 同様にして、夷隅地方の民話としてまとめたものが今では154話にものぼる。大多喜町発行の月刊広報誌に4年に渡って掲載されたことも。『夷隅郡の昔ばなし』(崙(ろん)書房)などの本を出版したこともある。挿絵は中学校で教師をしていた時の教え子である清水三枝(みつえ)さんが担当しているものが多い。
 ところで、数ある民話の中でも、スリルを感じるのはやはり妖怪が出てくる話ではないだろうか。「ワクワクします」と話す齊藤さんは実に楽しそうだ。出身地が山奥なので、山村を舞台にした夷隅地方の話と、故郷に伝わる民話にはタヌキやキツネが登場するなど共通点が多いという。一方、齊藤さんが目新しいと感じたのは海辺を舞台にした夷隅の妖怪伝説。岬町の舟幽霊『もうれんやっさ』や御宿町の巨人『デエーデッポ』が有名だ。航海技術の発達していなかった昔は、漁に出た船が荒れた海で遭難してしまうことも珍しくなかった。人々はそういった海での事故を妖怪の仕業と考えていたようだ。『もうれんやっさ』は漁船の乗組員に向かって「ひしゃくくれ、ひしゃくくれ」と叫ぶ。柄杓(ひしゃく)で海水をすくって船に入れ、沈めてしまおうと企んでいるのだ。底のあいた柄杓を渡すと、海水をすくうことができず諦めて退散するのだとか。『デエーデッポ』は、浅間山と轟山(とどろきやま)に両足をかけて網代湾で顔を洗っていた巨人と村人たちとのほのぼのとした話。恐ろしい妖怪ではないらしい。
「昔から人間は、幸いも不幸も妖怪がもたらしてくるものと考えていた。妖怪とは神様の化身であり、人に対して良い働きをするものは神として崇め、悪い働きをするものは妖怪として恐れてきた。話によく登場するヘビやキツネも、神様が姿を変えて現れたもの。人として背いた行動をとると人間を脅すが、思いやりをもって接すると人間を助けてくれる。他人や生き物に優しく、ものを大切に、謙虚な心を持ち続けよといった教訓が、民話に根付く永遠のテーマ。現代も、人は心のどこかで神様を信じている。その心が妖怪の存在を求め、民話が継承されてきた所以なのだろう」と齊藤さん。
 夷隅地方には、まだまだたくさんの妖怪がいる。『夷隅民話の会』では、民話を集めた冊子のさらなる発行に加え、『妖怪伝説』第二集を3月に発行したばかり。メンバー募集中。

問合せ 齊藤さん
TEL 0470・68・3201

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