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人生や仕事に正解なんてない 可能性を見つけるんだ
- 2017/11/2
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ジャスティン・ポッツさん
いすみ市在住のジャスティン・ポッツさん(36)が本格的に移住をしたのは一年半前のこと。「今は、いすみ市岬町桑田にある『ブラウンズフィールド』で日本の田舎の暮らしの魅力を味わえる機会を作ったり、冬には近くの酒蔵『木戸泉』で酒造を手伝ったりしています」と、笑顔で話すジャスティンさん。
アメリカのシアトルで生まれ育ち、大学4年である24歳の時に初来日。関西外語大学への短期留学だったが、「ただどこかに留学したかっただけで、当時は受け入れ先が見つかったので来ただけだった」という。最低限の単位を取得しながら各地を巡り、夜になれば居酒屋で一杯。物おじせず、にこやかな性格で友達はすぐに増えていった。アメリカへ帰国後、自身の世界間が広がるほど大きくなる、限られたフィールド内で働くことへの疑問。
そんな中、突然飛び込んできたのは知り合いから兵庫県内にある英語教室で働かないかというオファーだった。予想もしていなかった再来日である。「来日前に、アメリカで短期大学に通い、初めて真剣に日本語の勉強もしていました。周りに一生懸命に勉強をしている人はいましたが、意味のある成果はなかなか得られないんです。リアルな言語は本場で身につけるしかないと感じていました」。その後、都内へ移り、ホームステイをしながら南麻布のテンプル大学へ入学。ビザの取得とインターンシップを利用できることが大きな理由で、「日本でしかできない本場の環境を1年でどれだけ作れるか挑戦したかった」のだとか。
ジャスティンさんの『今』を作っているのは人脈が大きい。日本の食材、観光地、イベントを海外に向けてどう発信するのか。地方の活性化にあたり、誰にどんな方法でアピールし、現状と課題から新たな解決策を見つけるのか。日本各地や海外にまで直接足を運び、講演や企画立案を行った。「ミラノには日本酒と和食を広める仕事で1年滞在しました。日本人とイタリア人の間にアメリカ人の私が入ると、仕事や時間の使い方がそれぞれ違うので、帳尻を合わせるのが大変でした」と、異文化間で苦労をすることも。
そんな地域のプロデュースをするきっかけとなったのは、妻、美雪さんの親戚が経営している『株式会社ウマリ』で働き始めたことだった。農家のライブハウス「六本木農園」をはじめ、丸の内で働くサラリーマンを対象に出社前の朝7時から授業を行う「丸の内朝大学」など、地域と都会の素材や人材を繋げて新しい取り組みを生み出していくプロジェクトで中心的に活動した。「優秀な人材が一つの狭い職場で終わるのは勿体ないこと。地域と東京のマッチングですね」。都内で暮らし、地方へ出張する日々が続いた。次第に、地域とのしっかりとした経験と接点が急増していき、『東京側』の働き手から、東京や海外と接点やノウハウを持っている『地域側』の人材として働いてみたいと思うようになった。日本でしかできない関わり方への道筋が見え、それまでに築き上げてきた地域との関係性も自然な流れと捉えることができ、いすみへの移住を決断した。
田園を臨み、庭に山羊が暮らし、カフェでくつろぐ人々。『ブラウンズフィールド』でくつろぐのは、色々な地域から訪れる男女だ。「移住までにいすみ市の人と5年くらい付き合い、仲良くなっていた。
『ブラウンズフィールド』といすみ市で挑戦できる可能性や、本当に価値のあるものへの必要性を感じました。それに大好きな日本酒を作っている酒蔵『木戸泉』がいすみ市にあったのも魅力的」と、最後は茶目っけたっぷりに笑うが、すぐに真面目な顔で「日本を深く学び、それを海外へどう魅せるのか。自分だからできることは何か。お互いが何を求めているのかを大切にしたい。私達は、正解の中で生きてはいないのだから」と、続ける。日本全国自然がたくさんあり、とても豊かで良い所。そう目を細めて話す彼の顔は、日本を愛していることを物語っている。今後は、「国や所属する組織に関係なく、やっぱり日本っていいなと思うきっかけとなった『食』や『酒』、『発酵の過程』などの価値を世界共通の価値として、日本人を含めてシェアしていきたいです」と語った。
問合せ ジャスティンさん
justin@potts-k.com